※09年春コミにて無料配布したものです。オフ発行「ベルベット・デイ」のおまけ本でした。




 ──物々しい雰囲気が、辺りを押し包んでいる。
 明け切らぬ夜の内側で、隠し切れない殺気が渦巻いていた。
 ボンゴレの連合ファミリーがミルフィオーレ勢に押されているという報告が、後方に陣取るこのヴァリアーの待機場所に飛び込んできたのはつい先ほどだ。夜明けまでに急行して、ミルフィオーレが有する古城を奪取する。そうしなければ計画は失敗に終わるどころか、始まりもしない。
 スクアーロはぎゅ、と白い手袋を両手に嵌める。夜気に冷やされた布地が冷たくて鋭い。その手袋の上から、右手の中指にリングを嵌めた。匣を開けるためにザンザスより与えられた、精製度Aのレアリングだ。
「それはちゃんと手袋の上にするのに、」
 用意を終えたらしいフランが、ひょっこりと顔を出して独り言のように言う。
「──薬指のは、手袋の内側なんですねー」
 スクアーロが肩を竦めて、フランの方を振り返った。指摘めいた言葉を受けた通り、彼の右手を覆う手袋の内側、薬指の付け根部分が細く盛り上がっている。
「匣を開けるのに、手袋の内側に嵌めてどうすんだぁ」
「そいつが聞きたいのはそういう事じゃねえと思うぜ」
 スクアーロの言葉に笑う気配を含めた声音で応じた存在に、鬱陶しそうに眉根を寄せながらスクアーロがそちらに顔を向けた。
「……跳ね馬」
 キャバッローネのボスとして、ザンザスと話をしに来ていた──綱吉と守護者たちが不在の今、十年後のこの世界ではザンザスが暫定のトップである──ディーノがそこに立っていた。彼の言葉に、フランが頷く。
「ミーが聞きたかったのは、中指のリングを手袋の上につける理由じゃなくてー。薬指のを、どうして手袋の内側に着けてるかって事なんです」
 ディーノが口端を吊り上げて、浅く笑った。
「大事にしたい指輪なんだよな、スクアーロにとっては」
「てめぇが答えんな!」
 噛み付きそうな勢いでスクアーロが吼える。フランがそのカエルの被り物をした大きな頭をこてんと傾げ、スクアーロの右手をじっと見つめた。
「まあ、手袋の内側にしてる時点で大よそ検討はついてましたけどー……アホ、じゃなかった作戦隊長って、結婚してましたっけ?」
「……てめぇ今アホの作戦隊長って言い掛けただろ」
 睨まれたがフランは視線を明後日に向けて口笛を吹いただけだった。不愉快そうに鼻っ柱に縦皺を刻み、スクアーロが舌打ちをする。食えない新入りだった。
「右手薬指なのは、まあ左手が義手だから理由が出来るとしてー。隊長の周りに女ッ気なんか、ぜーんぜん無かった気がするんですよねー。連れ込んでる様子もないし、かと言って夜に任務以外で出掛けてる様子もないしー」
 スクアーロが夜間に外出して帰って来た後は、例外なく血の匂いを纏っていた。まさか愛しい女に逢いに行くついでに殺しをしてくるような男も居まい。フランが反対側に首を傾げる。
「その指輪の相手は、誰なのかなーって」
「なんだ、ヴァリアーの中では結構有名な話だって聞いてたんだけど、知らなかったのか?」
 フランの疑問に、ディーノが驚いたように返す。苦いものを噛んだかのような顔をしたスクアーロが、彼の金色の頭を叩いた。とても良い音が響く。
「いってえ!」
「跳ね馬、てめぇはこれから日本に飛ぶんだろぉが! さっさと行けぇ!」
「相変わらず手が出るの早ぇな、スクアーロは。言われなくても行くってば、つか何だよ押すなよ!」
 ディーノと、それからその背中をぐいぐいと入り口へ向かって押すスクアーロは喚くような声で言い合いを続けながら歩いて行く。
 誤魔化されてしまった。フランは唇を小さく尖らせて、銀色の髪が流れる長髪を見遣る。探られたくない話なのだろうか、にしてはディーノの言葉が引っ掛かった。『ヴァリアーの中では結構有名な話』。
 廊下に佇むフランの後ろに、ひょっこりとベルフェゴールが姿を見せたのは丁度その時だった。
「あれ、作戦隊長どこ行った? ボスがお呼びだぜ、あとテメーも」
「ドン・キャバッローネをお見送り中だと思いますー。ていうかベル先輩、幹部招集って言えば解りますからー……あ、そうだ。先輩に聞けばいいんですかねー」
 ぽん、とフランが手を打つ。首に嵐ミンクを巻いたベルフェゴールが、そのふわふわした尻尾を撫でながら訝しげに表情を変えた──と言っても、前髪の所為で窺えなかったが。
「何? つうかムカつく質問なら答えねーし」
「ロン毛隊長の指輪の相手ですー。結婚にしろ婚約にしろ、あの人の周りに女ッ気がなさすぎですしー。あのアホ隊長に惚れてるなんて、どんな奇特な人だろうなーって」
 淡々としつつも失礼な単語がちらほら混じるフランの質問に、ベルフェゴールが呆れたように肩を竦める。今更かよ、とぼやくように零した。
「あー、オレらにとったら今更なだけか……ま、いーや。あの指輪は女じゃねーよ」
 フランが瞬く。
「趣味とか?」
「違う違う。ありゃ首輪みたいなモンらしいぜ」
 ちょっと間が空いた。
「……なんでそんなアブノーマルちっくな単語が出てくるんですか」
「ちっくも何も色んな意味でアブノーマル」
 いつものようにベルフェゴールは笑って、それから口端をにぃっと吊り上げた。内緒話のような仕草で、フランのカエルの耳元へと顔を寄せる。
「つまり、あの指輪の贈り主はボスなワケ」
 フランの変化に乏しい表情が、一瞬だけ驚いたように瞠目する。一瞬の後にはすぐに元通り、面白みのない顔に戻った。その代わりのように、彼の視線はスクアーロがディーノを押し遣って行った廊下の向こうへと向けられる。
「……ちょっと意外ですー。ゲイに偏見はないですけど、何て言うかボスって女性関係お盛んですしー。指輪贈るまで入れ込む相手があのアホ隊長って、……そうなんですかー?」
 両手で足らないくらいに居るザンザスの愛人たちの顔を思い浮かべて、フランが独りごちる。だが視線の先、廊下の角向こうから大股で歩いて来るスクアーロに気付き、彼はおっと、と小さく零して口を噤んだ。
 ベルフェゴールが声のトーンを落として囁く。フランのすぐ傍で笑う気配がした。
「……と思うんだけど、スクアーロはそれを認めねーの、絶対。あれも犬につける首輪みたいなモンだっつってたけど、どう考えてもマリッジリング並に重たいだろ、アレ。ボスは大事なモンだとか何とか言ったらしいし?」
 廊下の端から歩いて来ながら、スクアーロが何をこそこそ話してんだぁお前ら、と喚く。気にするなと言いたげにベルフェゴールがひらひらと手を振って、けれど尚もひそやかに話が続く。
「だけどスクアーロは馬鹿だから、あの指輪を飼い主から認められた証だと信じて疑っちゃいない。だから周りからマリッジだのエンゲージだの言われると拗ねるのさ」
 ディーノの言葉に過敏に反応していたスクアーロの姿を思い出し、フランは漸く納得して頷いた。
「う゛お゛ぉい、人の事じろじろ見ながら唇動かしやがって、今ぜってーアホとか馬鹿とか言ってたろぉ!」
 ベルフェゴールとフランの前に仁王立ちになったスクアーロが、不機嫌そうに怒鳴り散らす。
 今にも噛み付いて来そうな彼を見遣って、フランは緩く息を吐いた。いえ、とふるふる首を振る。
「ボスが若干可哀想だなーって思っただけですー」

 ──てめ、そりゃアレか、オレが馬鹿だって遠回しに言ってるつもりかオレだってそれくらいの読解力はあるんだぞこの野郎、とスクアーロが喚き、その大声にぷっつんしたらしいザンザスがてめえら召集だっつってんだろチンタラしてんじゃねえよドカス、と言いながら現れてスクアーロの鳩尾に見事な膝を入れるのを見遣りながら、フランはカエルを被り直した。
 つまりこれがいちゃいちゃしてる状態なんだろうか、と下らない事を考え掛けて、やめる。
「ミーは多分、とんでもねー職場に来ちゃったんですね、うん」

 あーやだやだ。

(09/04/10)