黒いタイトなスーツに身を包んだ女が、大きな両開きの扉近くに立つ男の肩をぽん、と叩く。
「お疲れ様でーす。交代よ」
「あ、もうそんな時間?」
 叩かれた方の男も、黒いスーツにきっちりと身を包んでいた。
 肩を叩かれて振り向き、その視界に映る姿に頬を緩める。男は丁度、小腹が空いて来たなと考えていた所だった。
「最近ドンパチなくてつまんないわね。あー、どっかのファミリーがボンゴレに抗争吹っ掛けないかなー」
 男の傍らに並びながら、女が溜息と共にそう呟いた。嗜めるように男が苦笑する。
「おいおい、物騒な物言いだな。別嬪の唇からは聞きたくない言葉だぜ」
「あら、失礼。生まれが下町なのよ、下品な物言いは勘弁して頂戴」
 軽やかに笑って女が片手を振った。男も手を振り返し、両開きの扉近くにある小さな通用口から内部へ戻ろうとする。
 漸く昼飯にありつける、今日は何だろう。昨日はクラブハウスサンドだったな、あれは美味かった、なんて考えながら男が扉を開けようとした時だった。
 ──建物上部の窓から、派手な音が唐突に響く。がしゃあん、ばらばらばら。硝子が割れて、それが地面へ落ちたような音だ。
 戻ろうとしていた男は一瞬身を竦め、それからおっかなびっくり女の隣へと戻った。何事か、割と見当がついていたが。
 女は背後の建物──我らがヴァリアーアジトを眺め上げ、あー、と声を漏らす。
「スクアーロさまの部屋だわ。またボスのご機嫌損ねたみたいね」
「やっぱり」
 男は硝子の破片が落ちた辺りを覗き見た。見るも無惨に砕け散っているが白い陶器の花瓶と、それに生けられていたのであろう白百合の名残が窺える。
 そういやこの前はティーカップとソーサーが順番に落ちてきたんだっけ、と男は同僚に聞いた話を思い出した。
「今日は何やらかしたのかしらねー。私は任務の報告書出し忘れに、ボスのご機嫌斜めが重なったと見るわ」
「じゃあ俺は、単にボスが殴りたかっただけに賭ける。……真実はどうなんだろうな」
 さあ、と女が肩を竦めた。
「様子見に行くのはヤあよ。とばっちりは御免だし、男の喘ぎ声なんかも聞きたくもないわ」
「……ボスも結構変態趣味入ってるよなァ。殴った後お仕置きプレイって、そりゃ確かに俺も一度は憧れるけどさ」
 ほんのちょっと頬を染めながら告げられた性癖に、女は一歩後ろへ退いた。男が慌てて弁解する。
「憧れるけどする訳ねェよ! 俺の恋人はノーマルなんだ!」
「……まあ、ボスの変態プレイに付いて行けるのはスクアーロさまくらいよね。あの二人も不思議だわー」
 取った距離は変えないまま、女は首を伸ばして割れた窓を仰ぎ見る。
 中の様子は窺えないし、物音も距離的に聞き取る事が出来ない。でも絶対やってるんだろうな、と思った。
「喧嘩して部屋に篭もって、出てくる頃には雰囲気甘いのよ。在り得ないでしょ、」
 まあ確かに、と男も頷く。
 来客を告げるブザーが庭の向こう、正門の部分から聞こえて来たのはそんな時だった。
 正門の門番がブザーを鳴らしたという事は、今から来る客は正規の人間だ。物騒に持て成さなければならない客ではない。
 姿勢と表情を張り詰めさせ、敬礼で迎えた客は──ボンゴレ十代目、沢田綱吉とその守護者二名だった。
「ご苦労様。ザンザスに取り次いで貰えるかな」
 柔和な笑みでそう言われ、思わず男と女は顔を見合わせる。
 なんて悪いタイミングだ。今取り次いだら、間違いなく殺される。ボスに。
「十代目がわざわざご足労なさったんだ、事の大きい任務の話なのは見当が付くだろう」
 ボンゴレ十代目に対しあるまじき不敬だと、右隣に控える獄寺隼人がむっとしたようにそう付け加えた。
 まあまあ、と今度は左隣に控える山本武が彼を宥める。顎の傷など気にならないほど印象の良い視線を、ヴァリアー隊員の男女に向けて笑った。
「ちっと急ぎなんだ。頼めるか?」
「────失礼致しました。すぐにご案内致します」
 腹を括ったように男は言った。


 スクアーロの部屋の前まで案内され、扉を開けた綱吉が、
「真昼間から何やってんの君たちは! ていうかなんで凄い風通し良いんだよここ!」
 ──等と絶叫するまで、あと数分。




(08/10/26)