変な時間に目が覚めた。
まだ夜も明け切らない時間帯、早朝と呼ぶには少しばかり性急だ。薄いレースのカーテン越しに、猫が引っ掻いたような細い月が出ているのを認めてスクアーロは瞳を狭めた。
睦み合った後の所為だろう、酷く身体が重たい。眠ろうにも月明かりが煩くて、スクアーロはのっそりと起き上がった。
シャワーを浴びて来ようかとも思ったけれど、やめた。
水音でザンザスを起こすのも忍びなかったし、彼に抱かれた身体からは彼の匂いがする。その甘い残り香は、スクアーロの好むものの一つだった。
暗闇の中で布地を探って、脱ぎ落としたバスローブを身に付ける。ひやりとした感触に包まれて、一度身震いした。
極力スプリングを揺らさぬように起き上がって、スクアーロは足音を消して窓際へと歩み寄る。冬の最中の真夜中過ぎは、とても寒い。吐き出す息が白く濁った。
三十を過ぎてから、急に寒さを厭うようになった。歳を食った所為だろうかとげんなりする。苦手な訳ではないし、極寒での任務を課せられても拒む気はなかったが、それでも煩わしいものは煩わしい。
──思えば十年前は、寒さや暑さを厭う暇もなかった。ザンザスが起きて、リング争奪戦を経て、処罰を下されて現状のような形に落ち着いて──四季が数度巡った後で、漸く春の匂いを嗅ぎ分けた事を思い出す。
「……早く春来ねぇかなぁ」
ぼんやりと月を見上げながら、そんな事を呟く。寒いと義手の付け根が時折痛んだ。
あれを言っていたのは確か、山本武だったろうか。日本の春はとても良いものだから一度見に来いと、執拗に誘われていたのを思い出す。そう言えばディーノも太鼓判を押していた気がした。
「──起きたのか、」
背後から掛けられた声に、スクアーロは振り返る。ザンザスがベッドの上に半身を起こし、じっと此方を見つめていた。
「ああ。起こしちまったかぁ?」
いつも大きいだのダミ声だの言われているのを気にして、努めて柔らかく返答する。
ザンザスは暫しベッドの上でぼんやりした後、身体にブランケットを巻き付けて降りて来た。風邪を引くと忠告する間もなく、背後から抱き込まれる。ブランケットに閉じ込められれば、その温もりに手足がじんわりと暖まるのを感じた。
ぎゅう、と弱い力で抱き締められる。心地が良くて、スクアーロは喉を鳴らした。
「何を考えていた、」
「……日本の春を」
耳元で低く問われて、くすぐったく身を捩りながらそう答える。ザンザスが怪訝そうに息を詰めたのが解った。
「──……あ?」
寝起きだからか、彼のいつもの頭の回転の速さは窺えない。だが流石に先ほどの発言は直球すぎたかと、ザンザスの頬へ唇を寄せながらスクアーロは双眸を細めた。好ましい香りがする。
「向こうの、山本武か。雨の守護者の。に、日本の春を見に来いって毎年誘われてんだけどな? そういや行った事ねぇなと思って」
スクアーロはそれだけ告げた。決して一緒に行こうだとか言わないのは、経験上鼻を鳴らして不機嫌そうに面倒臭いと言われるだけだと解り切っているからだ。
ザンザスは、自分が行きたければスクアーロに何も告げずいきなりそこへ飛ぶ。何度現地で気を飛ばし掛けたかなぁ、とスクアーロは遠い目をした。
だから今回も、「で?」の一言で片付けられると思っていた、のに。
「──……行くか」
「えっ」
余りの自然な流れに、スクアーロが驚いて瞠目した。思わず素に戻った声が出る。
「まだ数ヶ月は先だが……、……何だ、その顔」
物凄く驚いた表情をしていたらしい。訝しげな目をしたザンザスを見つめて、スクアーロは慌てて表情を取り繕う。
こうやって素直な物言いをするようになったのは、一重に彼が歳を重ねた所為だろうか。そうだ、だってリング争奪戦の時はまるきり子供だった──何せ、十六歳の時に凍らされてからずっと眠っていたのだから。
そう思うと何だか感慨深くて、スクアーロはザンザスの耳元へと唇を寄せ、親愛を示すかのように柔く唇を押し当てた。
万感の思いを込め、しみじみと囁く。
「いや、──……お前も歳食ったなぁと」
──数秒後、ザンザスの頭突きがスクアーロに対し、綺麗に決まったのは言うまでもない。
(08/10/21)