──九代目が、死んだ。







 視界一面を埋め尽くす喪服の並で、スクアーロはただじっと視線を前方へと据えていた。
 今まさに土中へと葬られようとしている棺に、スクアーロが視線を注ぐ男は真っ赤な薔薇の花束を投げる。
 花弁を幾枚か散らしながら、その花束は深く掘られた穴の中へと落ちて──男は、ザンザスは酷く緩慢に、双眸を伏せた。

 ──抑揚のない穏やかな司祭の声で、死者のために祈りが捧げられている。
 マフィアのボスでありながらもカトリックの教えに則って葬儀が行えるのは、ひとえに彼が──ボンゴレ九代目ティモッテオが、優しき人であったからなのだろう。
 ボスと呼ぶには足りぬ器だと思った事もあった。もう二十年以上の時を数えるほどの昔、“ゆりかご”を思い出してスクアーロは懐かしむ。
 けれどどうだ、周りを見渡せばこの悼む人の夥しい数は。歴代のボンゴレボスが眠るこの墓地に、溢れんばかりに黒い服を纏った老若男女がひしめき合う。
「……老いたな、」
 周りに聞こえぬような吐息ばかりの声音で、スクアーロはとても穏やかにそう囁いた。
 ──今なら九代目、きっと自分は貴方がボンゴレの素晴らしき父であったと、心より誇れるだろうから。

「Amen.」

 司祭の声に続いて、この場に集う全員が彼の冥福を祈る。
 九代目に近しい者達が、墓土を棺の上へと被せていく音を遠く聞きながら、スクアーロはザンザスへと視線をやった。
 眉間に皺を刻み、悲しみに耐える様にしながら土の中へと埋もれてゆく棺から目を離さぬ綱吉の、その隣に佇むザンザスは──凪いだ海のように、とても柔らかな顔をしていた。



 ボンゴレの墓は海沿いの町の、地中海に臨む切り立った丘の上にあった。
「ボス、」
 取り付けられた柵に凭れて夕日の浮かぶ海を眺めるザンザスに、スクアーロは静かに声を掛ける。
 出逢った頃より随分と深みを帯びた彼の横顔が、流すような視線でいらえた。
「……死んだな、」
「ああ。死んだ」
 ザンザスの言葉に、スクアーロが頷いた。

 九代目ティモッテオの死は、嘗てファミリーの父とも呼ばれた人にしては、とても安穏なものだった。
 綱吉に右手を握られ、家光に左手を握られ、ザンザスを含めた多くの近しい者に看取られて、八十年以上の人生に堂々たる幕を下ろしたのだ。
 その幕はビロードで出来ており、たくさんの宝石がファミリーの手によって飾られたのを、スクアーロは知っている。

 主人の意志を尊重して何も喋らぬスクアーロに一瞥をくれて、ザンザスは胸元から一枚の古びた紙切れを引っ張り出した。
 紙面を眺めて、潮風の所為でべたつき始めた唇が言葉を結ぶ。
「──何て様だ。結局、あの糞爺に突き返してやれなかった」
 自嘲する様な笑みと共に囁かれたザンザスの台詞に、銀髪を揺らしてスクアーロは顔を上げる。
 彼の手元に端が擦り切れたセピア色の紙片を見つけて、それは、と問うた。ザンザスは口答する代わりに、紙片をスクアーロへと押し付ける。
 映っているものを眺めて、銀の瞳が見開かれた。
「…………これ、」
 ──優しげに笑う在りし日のティモッテオと、彼に肩を抱かれながらも不貞腐れた顔でそっぽを向く、幼いザンザスが映っていた。
 日焼けをしたのか、写真の色は随分と褪せている。よくよく見れば、ティモッテオの顔には細かな引っ掻き傷のようなものが幾つも残っていた。ザンザスが付けたのだろうか。
「糞爺の所へ養子に入って、暫くした頃に撮った奴だ。俺はいらないと言ったのに、あの爺は記念だと言って俺に押し付けた」
 言葉を求めてザンザスへと視線を向けたスクアーロに、真紅の瞳は薄らと笑う形に歪められた。潮風に乱されるのを嫌ってか、大きな手がその黒髪をかきあげる。
「でも、今まで持ってたんだろぉ?」
 笑う気配を声音に潜ませて、スクアーロは写真をザンザスへと返した。
 手元に戻ってきた写真を改めて見下ろし、ザンザスは吐息と共に独り言めいて囁きを零す。
「……言ったろうが。突き返せなかっただけだ」
 ザンザスに表情はなかった。何を考えているのか解らなくて、スクアーロは暫しその横顔へと視線を奪われる。
「棺に押し込んでやるつもりで持ってきたってのに。……まあいい」
 言い終わるのと、びり、と不躾な音が響くのと、どちらが早かったろう。
 スクアーロが音に驚きザンザスの手元を見る。彼の手の中にあった古い写真は、今まさに彼の手によってびりびりに引き裂かれていた。
 止める間もなく細切れになっていく写真に暫しぽかんと口を開けて、けれどもすぐに己を取り戻してスクアーロはザンザスの手に指先を掛ける。
「何してんだぁ、」
「見て解らねえか。破いてんだ」
 八つ裂きよりももっと細かく裂かれた写真は、躊躇いもなくザンザスの指の隙間から零れ落ちた。
 夕方の涼しい風に浚われて、追憶の欠片は地中海へと舞っては消えていく。
 あっという間に夕焼けの向こうへと消えていってしまうその紙片を眺めて、スクアーロは細く吐息した。
「……良かったのかぁ?」
 擦り切れた角、細かな傷。どんな形であれ、ザンザスがあれをずっと持っていたという事実。
 鑑みて、スクアーロはそっと尋ねた。
「────帰るぞ」
 ザンザスは答えなかった。代わりにそう言われて、スクアーロは浅く頷く。霊園から出るために踵を返せば、門のところで綱吉がじっとこちらを見ていた。
 彼が声を掛けずにいてくれた事を、スクアーロは感謝した。
 決して自惚れではなかったが──きっとこの場に彼が、否、自分達以外の誰かがいたら、ザンザスは写真を取り出すこともなかったのだろうから。

 車を暖めさせてくる、と先に丘を降りて行ったスクアーロの靡く銀髪を暫し眺めてから、ザンザスは写真を破り捨てた地中海へと、最後にもう一度だけ振り返る。
 養父はこのイタリアを愛していた。イタリアと、そこに根付くボンゴレというファミリーを愛していた。
 歳を食ったとザンザスは自嘲する。
 ──今なら、きっと今ならこんなにも、素直な気持ちで別れの言葉が言えそうな気がする。

「──……ArrivederLa.」

(08/10/10)