Casino!!「フロム・ラスベガス」より


 細いフルーツナイフが彼の義手の中で踊る。しゅるしゅると軽やかな、果物の皮が剥ける音をBGMに、ザンザスは深くカウチソファに凭れていた。
 テーブルの上、金色の更に山盛り盛られていたフルーツの中から林檎を選び、その皮を剥きながらスクアーロが呟く。
「ウインとはまた、豪勢だよなぁ」
 カジノが最も賑わうのは夜だ。ネオン輝く煩い街の目覚めまではホテルでお過ごし下さいと、運転手に送られたのは世界に名立たる最高級ホテル、ウイン・ラスベガスだった。
 パーラー・スイートのバルコニーの向こうには、異国の景色と匂いが広がっている。開け放したその先、夕闇に沈み始めたストリップ通りをカウチの背越しに見下ろして、ザンザスは不愉快そうに眉根を寄せた。
「オレをこんな僻地まで呼び付けやがったんだ、当然だろう」
「はっはァ、ベガスを捕まえて僻地呼ばわりか。相変わらずボスさんはスケールがでけぇなぁ、っと、剥けたぜぇ」
 部屋に備え付けてあった、これまた高そうな青い皿に剥いた林檎を乗せながら、スクアーロは楽しげに肩を揺らす。それからザンザスの方へと青い皿を押し寄せた。
「────おい、」
 その皿に乗っているであろう、綺麗に剥かれて切り分けられた林檎を食べようとして、ザンザスは怪訝そうに顔を顰める。
 皿の上に乗っかっていたのは、皮を剥かれたままでどっしり置かれた、丸裸の球体である林檎だったからだ。
「剥いたろ?」
 その林檎を剥けと命じた本人は、不思議そうに瞬き呟いてから自らも新しく林檎を鷲掴む。そのままそれを唇へと寄せ、小気味良い音と共に皮ごと齧った。蜜をたっぷり含んだ瑞々しい果実の香りが、夕暮れの室内へと広がる。
「……もういい」
 長年の部下は、相変わらず変な所で常識がなかった。こいつの場合、刃物を使って捌くのは人間だけなのだろう。ふいと顔を逸らしたザンザスに、スクアーロはまたいつもの我侭か、等と己が原因である事を気取りもせずに瞬いた。じゃあオレが食う、と青い皿を手元に引き戻すほどの空気読めないっぷりだった。
「──どう思う? 今回の仕事、」
 じゅる、と溢れた林檎の果汁を啜り上げながら、それを嚥下してからスクアーロはほつりと問う。
「てめえはどう思う」
「う゛お゛ぉい……」
 同じ言葉で返されて、不満そうに声を零してから、スクアーロは林檎を齧るのをやめた。と言うより、齧るのをやめざるを得なかった。林檎はあっという間に痩せ細り、芯が残されるのみだったからだ。
 食べ終えたそれを皿の上に放り、ザンザスの為に剥いたもう一つを手に取る。既に酸化が始まり黒ずみ始めてはいたが、その味は先ほどと変わりなく、蜂蜜のように甘かった。
「──成り上がりを目論むマフィアの、言い方は陳腐だが、スパイ。サツが嗅ぎ付けてンだから、相当大規模にやらかしてんだろ? 仲介料とやらも、呆れるほどゼロがケツにくっついてる額じゃねぇのかぁ」
 しゃく、と林檎の削れる音がする。バルコニーの向こうはいつの間にか濃い藍色がその腕を広げ、つい先程点されたのか、それとも昼間も解りづらいだけで輝いていたのか、ストリップ通りのネオンが騒いでいた。
 ザンザスがそれを一瞥し、ふん、と鼻を鳴らす。
「アメリカン・マフィアはラスベガスに手を出さない。出しても旨味がない。だからジャック・ポッターがマフィアだという可能性は無いと考えろ。ベガスを使って儲けようと考える人間がいるとしたら、そいつはどんな奴だと思う。──カジノに恒常的に関わる人間、つまりは従業員だ。儲けの発想は、大体にして身近な部分に潜んでいる」
「じゃあどうする、カジノ……なんつったか、その餌場は。カジノ・ロシャスだったか? そこのオーナーにでも会ってみるかぁ、」
 もう一つの林檎も平らげて、その残骸を皿に投げ、ティッシュで指先を拭き取りながらスクアーロは首を傾げた。そろそろ夜だ、出掛けても良い頃合だろう。
「てめえが行け」
 ザンザスはカウチで寛いだまま、顎で指し示すようにしてスクアーロにそう指示する。
 ここがシチリアのヴァリアー・アジトだったならば、スクアーロには考える権利もなく首を縦に振らねばならなかった。けれども今回は違う。クライアントはアメリカン・マフィアで、彼らのご指名はザンザスなのだ。スクアーロは唯のお付きである──ドン・ヴァリアーが銀髪の右腕を常に連れ歩いているという噂は、既にコーサ・ノストラのみならず、大抵のマフィアの間では事実として扱われていた──、今回ラスベガスを訪れたザンザスが、本物である事を示す為の。
「まあ、いつもならそうするけどよ。オレぁカジノなんざ初めて来たし、ボスほど名前も売れてねぇ。何より今回はボス、お前が動かないといけねぇ事は解ってるだろぉ」
 スクアーロは宥めるようにそう言った。ザンザスが機嫌を曲げ始めているのは手にとるように解ったが、今ここでそうなられては困る。これから動こうという時に、とスクアーロは内心溜息を吐きたくてしょうがなかった。
「は、てめえカジノに行った事もねえのかよ。場末のカジノ・バーで、スロットマシンに齧り付いて吠えてそうなツラしてやがる癖に」
 けれど予想外に、ザンザスはそれ以上機嫌を損ねる事はなく、寧ろふと頬を緩めてスクアーロの台詞に反応した。その様子に少し驚いてから、スクアーロは視線を逸らして頬を掻く。この年のマフィアの癖にカジノ未体験というのは、ザンザスの興味を引くほど面白かったのだろうか。少し、恥ずかしい。
「う゛お゛ぉい、どんなツラだあぁ! ……だって別に困りゃしねぇだろぉ。賭け事にも興味ねぇし、それに、オレには絶対大当たりなんざ引けねぇからなぁ」
 揶揄するようなザンザスの台詞に唇を尖らせてから、スクアーロはカウチの向かい、スツールから立ち上がる。緩めていたネクタイを締め直し、そこらに引っ掛けていたスーツのジャケットを羽織り、それからザンザスのジャケットを取り上げた。
 それを腕に引っ掛け、カウチの傍へと寄る。ちらと彼を見上げてから、ザンザスは億劫そうに立ち上がった。
「大当たりが引けねえって、何故そう言い切れる」
 問われて、スクアーロは肩を竦める。
「何だって構やしねぇだろ。顎上げろぉ」
 誤魔化されてしまえばザンザスは興味を失ったらしい。スクアーロは、く、と浅く上げられた顎の下、自分と同じく緩められていたザンザスのネクタイの結び目を上げてやる。
「ッし、んじゃ行こうぜぇ」
 抱えていたジャケットをザンザスへ押し付けて、スクアーロは長い銀髪を翻した。が、歩き出す前にその先端を思い切り引っ張られる。予想外の事に、がくん、と頭が後ろへ逸れた。
「ぎゃっ」
「てめえ、林檎臭えんだよ」
 色気の欠片もない悲鳴も気にせず、ザンザスは鼻っ柱に皺を刻みながらそう言った。引っ張られた頭を撫で摩りながら、スクアーロは半眼で振り返る。
「歩いてたら消える」
「抜かせ、ドカスが。消えるまでの間に恥をかくのは、てめえを連れてるオレの方だ」
 ザンザスは部屋に置いたままだった私物の中から、小さなアトマイザーを取り出してスクアーロへと向き直る。ザンザスの好むオード・パルファンだった。
「両手を出せ」
 言われて、スクアーロは大人しくそれに従った。スーツの端から少しだけはみ出る両の手首へと、それがワンプッシュずつ振り掛けられる。少し重めの甘い香りは、自分が着けると余り馴染まないなとスクアーロは思った。大体にして、自分はあまり香水は着けない。
 アトマイザーをドレッサーの上に置き、ザンザスは満足したように双眸を細めた。スマートな仕草で踵を返し、行くぞ、とスクアーロの横を擦り抜ける。
「移動は? またあのド派手なリムジンか」
 そう問うたザンザスに、スクアーロはふるりと一度首を左右に振った。
「徒歩だ。ストリップ通りはすぐそこだぜぇ」

 貴様オレに歩かせる気かと言い出しそうな、思い切り嫌そうな顔をしてぴたりと立ち止まったザンザスに、スクアーロが無言で室内に備え付けの電話に向かったのは言うまでもない。
 コンシェルジュの女性は、「タクシー」とこちらが言うだけで、すぐに快くそれを呼んでくれた。



Casino!!「CASINO ITALIANO」より


 スクアーロはギャンブルが苦手だった。
 弱いわけではない。勝負するものを選べば勝率は手堅く八割を超えるし、大きく勝ちはしないが大損をする事はない。ギャンブラーとして生計を立てて行くなら、そのスキルはなくてはならないものだが、スクアーロの本業は暗殺である。
 そもそも仕事自体、負ける確率も込む博打な商売なので、自分の分を見ると言うのは、スクアーロにとっても彼の所属する暗殺部隊ヴァリアーの中では初歩中の初歩だ。しかしどんな仕事でも商売でも、遊びであれ手堅い勝負ばかりしていると、いずれは飽きてくる。
 人間は新しい刺激がないと退屈してしまう生き物なので、その時初めて人は勝負をするのだ。自分の命運を賭けて。
 それは自分の現在のボスの許で忠誠を誓う為に、剣帝と呼ばれた男に挑んだ勝負であったり、或いはボスを玉座に就かせる為に、ボンゴレに挑んだ勝負であったりもした。そういった命がけの勝負を経験しているだけに、スクアーロにとって代償が金だけの運の勝負と言うのは些か物足りない。
 全てを得るか失うかという勝負がそうそうあってはならないのだけれど、賭けるものがそれくらい大きくないと、唯の空虚なものだとしか思えなかった。
 加えてある重要な任務を請け負うスクアーロは、そんなギャンブルに身を投じている暇もない。人々の喧騒の中に身を潜めながら、くだらない現状に憂うしか、戦う事以外に愉しみもない男にとって暇を潰す方法もなかった。
『ビバ・ラスベガース!! スクアーロちゃん楽しんでる?』
「楽しめるかあ゛あ゛!」
 耳につけた小型のヘッドセットに向かって怒鳴りつけると、斜め後方から飲み終わったグラスが頭に飛んでくる。カジノの喧騒にも勝るとも劣らぬスクアーロの怒声はそこで止まり、『あらぁ〜、スクアーロちゃん、ボス怒らせちゃダメよっ』と諸悪の根源から、まるで現状を見ているような指摘を受けてスクアーロは危うくヘッドセットを粉々に砕きそうになった。
 既に割れそうに痛い頭をさすりながら、斜め後方を振り返ると、XANXUSが大量に積んだチップが、カジノホストによってどこかの数字の上に移されるのが見える。
「仕事しやがれてめぇら! そうじゃなくても俺はボスの相手で忙しいんだあ!」
『あ〜らお熱いのね、妬けちゃうワ。まだ龍首は声掛けてこないの? マーモンちゃんとベルちゃんに聞いてみたけど、あっちも未だだそうよ〜』
 フフ、と野太い声で笑われてぞっと肌が粟立つ心地を覚えたが、スクアーロが本格的にヘッドセットに皹を入れる前に、絶妙のタイミングで報告がされていく。
 ヴァリアーが龍首が経営するチャイナカジノに潜入してはや一週間が経とうとしていた。最初の一日で龍首の息がかかるカジノを見付け、六日間は直営のホテルで遊んで、今やヴァリアーはハイローラーとして部屋代も飲食代もすべて無料のサービスを受けられるようになっていた。現在はピットボスと呼ばれる各テーブルに付いているマネージャーが、XANXUSの世話をしている。
『そろそろ用意した軍資金も底を尽きそうでしょー、ベルちゃんとボスは稼ぐ時はデカイけど、損も大きいから減る一方じゃない』
 音漏れのしない音量で語られる内容に、スクアーロは眉を顰めて舌打ちした。二人とも、玩具のようなチップにしなくても金を湯水の如く使う術だけなら、ヴァリアーの中でもトップクラスなのだ。
「お前らがとっととアジトを見付けねえからだろぉ? オーナーに会おうと思やあでかい当たりを出すか、おまえらが闇カジノを紹介する奴を締め上げるしかねぇんだあ」
 背後から聞こえる喧騒はお互い大きいが、小声でも充分聞こえるヘッドセットのマイクに唇を押し付ける勢いで、スクアーロは低く囁いた。
『そんなの分かってるわよぉ! でも龍首もなかなかお利口さんね。カジノ経営してるだけあって、口が軽そうなやばい奴には声掛けないようにしてるわ。顧客はそっちのカジノから流れ込んでるのはガチみたいだから、まあ声を掛けられないってことは、まだこっちの素性がバレてない可能性が高いわね。フランちゃんに言ってもっと情報を流して貰わなくちゃ……っあーんナイスガイ! もっとこっち来て!!』
 ヒュー、と甲高い声を上げてアピールするルッスーリアに、彼らがどこにいるのかが分かると、スクアーロはまた怒鳴りつけようと込み上げるものを飲み込みながら、「良いからとっとと見付けろ、じゃねえとお前もレヴィも三枚に下ろす!」と乱暴に通信を切った。
 空気清浄機のお陰で、そこかしこで煙草が吸われていても澄んだ空気の中、どこかオリエンタルな内装に、大きなシャンデリアが等間隔でぶら下がる広いホールに、客の金を消費させるマシーンやテーブルが並べられている。そこに群がる人々は、スクアーロが切り捨てるに値しない人間ばかりだ。
 そこから少し離れた場所にある、ハイローラーだけが使えるテーブルに、XANXUSが座っていた。
 周りを囲む人間たちは何れも、セレブリティのゴシップや政界でよく見る顔であり、スクアーロたちが依頼する主であったり、ターゲットである側の人間である。
 スクアーロの役目は、賭けに興じる最中、XANXUSがが暴れださないように見張る事だ。
 元々、超直感という武器があるだけに、XANXUSは決して弱い方ではないが、玩具のコインにしか見えないチップにはさして執着がない。
 その為十回に一度は賭けを外し、その日の収益を丸々落とす事は間々あった。それが彼の作為的なものや、或いは気まぐれなら支障はないが、純粋な運に作用されたものになると偉そうにふんぞり返った彼が何時暴れだすか分からない。
『――クフフ。お久し振りです、ヴァリアー副隊長、スペルビ・スクアーロ』
 ヴァリアー以外使えない無線に割り込む声に、スクアーロは辺りを見回した。
『僕は近くにいませんよ。いや、あなた方の任務を言えば、直ぐ傍にいるようなものですがね』
「う゛お゛おい、覗き見とは趣味が悪いぜえ、六道骸」
 また特徴的な笑い声が耳につき、スクアーロは眉を顰めた。術士と呼ばれる霧の守護者たちは、一様に掴みどころがないので苦手だ。
『それよりもあなた方も、龍首を追い掛けているのでしょう。弟子が難儀しているようだから、取り計らっておきました。あと少しで龍首のボスがXANXUSと接触します』
「何だとお……?!」
 機密である任務が漏れていると言うだけで大問題だと言うのに、貸しを作る事態にスクアーロの表情が益々険しくなった。
『念のため言っておきますが、フランは無関係です。僕もフェランド・ロレンツォーニに依頼された一人ですから。あなた方と目的が一緒なら、手を組んだ方が早いでしょう?』
 尤もらしく、そして六道の提案はヴァリアーに取っても渡りの船だが、全面的に信頼するパートナーにはならない。
「てめぇ……、何が目的だあ?」
『任務の遂行ですよ。異分子がこちらに入り込んだので、あなた方が仕事をしてくれると話が早い。そろそろお邪魔が入りそうなので、失礼します』
 スクアーロが口を開く前に、ぶつりと音声が途切れた。
 それよりも彼の言う異分子が引っ掛かり、ない頭で考えようとして『スクアーロ?』と呼ぶマーモンの声に遮られた。
「おいおい、今日は何なんだ、厄日かあ」
『厄日には違いないかもね。情報が流れなかったのは、強い幻術の干渉があったからだよ』
「そうなのか」
 六道から連絡を受けたことを話そうか逡巡しているうちに、スクアーロの背後と、マーモンの音声に混ざって似たような音が聞こえてきた。
『おそらく六道骸……嫌な奴。龍首がやっと動き出したから、闇カジノで落ちあうよ』
「ああ、分かったあ」
 ヘッドセットを切ると、なるほど、遠目に黒服の姿が見え、こちらに近づいてきた。
「XANXUS様のお連れの方ですか?」
 中国語訛りの英語で話し掛けられて、頷いた。ちらりと視線を走らせると、1ゲーム終わったXANXUSも、似たようなスーツの男に話し掛けられているのが見える。
「社長がXANXUS様と、お連れの方々と是非お話がしたいと言っておられます」
「ああ、構わないぜえ」
 漸く、スクアーロの楽しい賭けに向けて動き始める事に口の端が持ち上がる。
 先を行くスーツの男たちに案内されて、華やかなカジノを後にした。