ボンゴレの傍系らしいその家は、フェルーミ家というらしかった。
 日曜日の昼下がり──晴れ上がった空の下、目にも鮮やかに作り込まれた広い庭園の中には厳つい男ばかりが犇いている。
 どいつもこいつも腹に一物抱えていそうな顔をして、それでも表向きだけはにこやかに交流を楽しんでいるのだから舌を巻く。そういった裏表の区別を付ける事がさっぱり出来ないスクアーロは、さっきから挨拶と握手ばかりを求められているディーノを横目で見ながらそう思った。
 これから育つだろうという期待を込めて、キャバッローネの若き跡目は会場についた途端から引っ張りだこだった。コネを作っておく事に必死な狸どもに囲まれて、ディーノは青ざめながらも律儀にそれに応対している。
 ──となれば、暇なのはスクアーロだった。
 休日にまでわざわざ学校の制服を着用してまで──シャツのボタンは上の方が開いていたし、ネクタイはとても弛んでいたが──こうしてディーノについてきてやっている分、元を取ろうかと只管食事をするのにも飽きてしまった。
 かと言って、この場にスクアーロにとって興味を引くものもない。時折スクアーロの蛮勇を知っているらしき者から声を掛けられて鬱陶しいし、そろそろ退散してしまおうか。
 けれどレポートのコピーは帰り際に貰う手筈になっているから、勝手に帰ればスクアーロ自身が困る。
 何か退屈を紛らわせそうな面白いものはないかとスクアーロは視線を巡らせた。が、その視線は会場をぐるりと一舐めする前に、乾いた音が響いて視線がそちらへ引き寄せられる。銃声だった。

「──もう一度言ってみろ、」
 響いた銃声と共に、良く通る低い声でそう呟かれたのが聞こえた。突如とした銃声に、その周りから細い悲鳴が幾つか上がる。若いマフィオーソの連れる、荒事に慣れていない娼婦だろう。
 マフィオーソ同士の喧嘩だろうか、と野次馬根性丸出しでスクアーロは人垣を掻き分ける。スクアーロはまだ少年で、少年とは他人の喧嘩を見るのが好きな生き物だった。
 漸く最前列へと出て来て、スクアーロはその人垣の中心で何が起こっているのかを見る事が出来た。二十代半ば程度であろう、まだ若い男が右手を押さえて蹲っている。その男の向かいに立ち、彼に銃口と冷ややかな視線を向けているのは──蹲る男よりもまだ若い、スクアーロとそう年齢の変わらないであろう少年だった。
「オレが──何だって?」
 赤く輝く瞳を持つ少年は、銃口をぴたりと男に据えたまま、不機嫌そうな表情と声色で再び問うた。
 蹲る男は、右手を庇いながら──よくよく見ると、彼の右手は真っ赤に濡れていた。恐らく先ほどの銃声は、彼の掌を撃ち抜いたものだったのだろう──それでも気丈に、少年を睨み付けるように見上げながら返す。
「ぽっと出の妾腹の子供なんかより、エンリコの方が十代目に相応しいと言ってやったんだ! どこの馬の骨が産んだか解らない子供なんざ、ボンゴレ十代目には相応しくないってな!」
 男が勢いのままに言い終えると同時、再び銃声が響く。追いかけるように悲痛な叫びと、それから絹を裂くような悲鳴が聞こえた。
「次は頭だ」
 左耳から夥しい量の血を流しながら、男が赤く染まった芝生の上で転げ回っている。空になった薬莢を彼の傍へと落としながらザンザスは、ただ酷薄な声色と瞳を以って銃口を再び男へと向けた。
 和やかであったガーデンパーティーが惨劇の舞台に摩り替わった事を察知した女性たちが、その先の未来を予測して先走った上擦り声を漏らす。
「死ね、」
 何の感情も篭もらない声が、赤い瞳の少年から発せられる。
 
 ──そのシンプルな言葉は、スクアーロは何度も聞いた事がある筈だった。
 勝負を仕掛けた剣士から向けられたものであったり、喧嘩の末に前歯を折ってやった上級生からであったり、或いはスクアーロ自身が誰かに言った事もあった。
 けれどそれは大抵が勢いに任せた罵声で、そうでなくとも勝利を確信した馬鹿が、自らに酔い痴れながら囁くものだった。

 ──怒っている、と、思った。

 真っ直ぐなほど強く冴えた怒りにより紡がれたその一言は、スクアーロの知らないものだった。
 その強い怒りが、スクアーロの胸を焦がす。もしかしたらそれは、一片の炎だったのかもしれない。
 一目惚れにも似たその感情の名前が何であるのか考える前に、スクアーロの視界から、その少年以外が消え去ってしまう。
 パーティーに招かれていた客は、大よそでも三桁は下らなかったろう。黒いスーツのマフィオーソに、彼らの連れる色とりどりの女達はどこへ視線をやったって目に入ってくる筈だった。
 なのにスクアーロの視界からは、その赤い瞳の少年しか映らなくなる。世界が、今まで面白くも何ともなかった世界が、彼を中心にして回り始める。
 ────敵わない、と悟る。
 その赤い目をした少年の持つ風格、雰囲気、気配、全てがスクアーロを圧倒していた。幾百人もの手練と対峙してきたスクアーロですら畏怖してしまう、そんな何かが視線の先の少年にはあった。
 あれは誰だ。剣士ならばスクアーロが知らぬ筈がない。
「ザンザス、」
 柔らかな第三者の声が響くと同時、赤い目の少年が解りやすく顔を歪めて舌打ちをする。トリガーに引っ掛けられていた指先が外され、銃口が下ろされた。少年に視線を奪われていたスクアーロが、は、と我に返る。それと同時、ノイズのように周囲の話し声がスクアーロの両耳を苛んだ。
「やれやれ、九代目が仲裁に入って漸く、か。まったく、ボンゴレ十代目の最有力候補があれとはな……。フェルーミ家の子息が継いだ方が良いんじゃないか?」
「滅多な事言わないで、聞かれたら銃を向けられるわよ」
 すぐ隣でスクアーロと同じく赤い瞳の少年の行動を見ていた年嵩の男が、肩を竦めながらぼやく。すぐさま連れている若い女が眉根を寄せ、声を潜めながら彼を諌めていた。
「ボンゴレ十代目……?」
 小さく呟いて、スクアーロが瞬く。視線の向こうで赤い瞳の少年は、先ほど彼の名らしきものを呼んだ初老の男性から、何事か囁かれているようだった。身体の二箇所を少年によって貫かれた男が、どこからかやってきた黒服の男に支えられ、パーティー会場の外へと連れ出されているのが視界の端に見えた。
「……名前、」
 あの初老の男が呼んでいたのが彼の名前だったのだろうが、スクアーロはそれを聞き逃してしまっていた。ショーが終わったとばかりに崩れ始めた人垣の中で、必死に流されないように足を踏ん張りながら、スクアーロはそれでも赤い瞳の少年から視線を外さない。
「おや、噂をすればエンリコ・フェルーミじゃないの」
 一連の出来事を見物していたらしい着飾った老女が、すぐ近くで呟く。
 赤い瞳の少年は、彼とその隣に立つ初老の男へと近寄ってきた、彼より数十歳は年上であろうマフィオーソから恭しく礼をされ、何かしらの謝罪を受けているようだった。よくよく少年を見てみれば、彼の隣に立つ初老の男性はボンゴレ九代目──流石のスクアーロでも彼の顔くらいは知っていた──であり、先ほどの老女の呟きから推して知るに、傍のマフィオーソはこのガーデンパーティーのホストであるフェルーミ家の者なのだろう。と言う事はつまり、彼がボンゴレ十代目となるべき者だということはスクアーロ程度の頭の作りでも窺い知れたが、もっと知りたいのはその名前だ。ボンゴレ後継者と聞いてその名前を即座に思い出せるほど、スクアーロはマフィア界隈に詳しくはない。
 もう考えるのにも飽いていた。ぐだぐだとその先を続けるよりも早く、スクアーロの身体が飛び出す。
 マフィオーソや婦人たちを押し退け、赤い瞳の少年の前へとスクアーロは躍り出た。何処の鉄砲玉だと悲鳴が上がり、少年と九代目の両脇についていたボディーガードらしき男二人が動く。
 飛び出したは良いものの、どうするかなんてスクアーロは全く考えていなかった。故に出来てしまった隙を突かれて、ボディーガードに簡単な仕草でその両肩を押さえられ、地面へと乱暴に押し付けられる。
「ッ、離せぇ!」
「──九代目、ザンザス様。お怪我は」
 離せと言われて離すほど愚直なボディーガードも居ない。スクアーロをがっちりと押さえ付けたままで、ボディーガード二人のうち、一人が少年とボンゴレ九代目に向かって問い掛ける。
 あの赤い目の男はザンザスと言うのか。スクアーロはそこだけ聞き逃さなかった。
 問いに九代目は緩く首を左右に振ったが、ザンザスは眉間に皺を刻んだだけだ。彼はその顔を崩さぬままに長い足を突き出し、磨かれた革靴の尖る先端でスクアーロの顎を持ち上げる。唐突で粗野な仕草に、スクアーロが薄く呻いた。
「こんな大勢の前で飛び出してくるとは、間抜けにも程がある。どこのファミリーだ?」
「……ッ、ファミリーにゃ所属してねぇよ……! 唯、お前が……誰なのか、気になって……!」
 強制的に上を向かされている姿勢で喋るのは苦しい。スクアーロの言葉は途切れ途切れだった。
 ザンザスが怪訝そうに顔を顰めて、それからスクアーロの横っ面をその爪先で蹴り飛ばす。乾いた音が響いて、ギャラリーの中からか細い悲鳴が幾つか上がった。
「このパーティーに出て来るような奴で、九代目の息子であるオレの顔を知らねえのが居たとは驚きだな。──不愉快だ、帰る」
 冷ややかな、言葉通りにとても不愉快そうな声音でザンザスが言い、彼はそのまま踵を返して歩き出す。周りに居た数名の男が、お待ち下さいと慌てふためいて彼の後を追った。
 九代目はそんな彼の後姿を見遣って嘆息し──それから、その柔らかな眼差しをスクアーロへと向ける。上からそんな風に見下ろされるのが気に食わなくてスクアーロは睨み付けたが、身体を拘束するボディーガードに思い切り頭を押さえ付けられた。
 ボンゴレ九代目が、その眼差しと印象を同じくする柔らかな声で言う。
「彼の拘束を解きなさい」
「しかし、」
 九代目の命令とは言え、身分のはっきりしない挙動不審者を解放する事にボディーガードが渋る。まして先ほど、ザンザスに向けて罵声を浴びせた男がいたばかりだ。けれど浅く笑って、九代目は続ける。
「彼が本当に暗殺者ならば、間違ってもあんな風に飛び出してきたりはしない筈だ。そうは思わないかね。それに──無礼に対する仕置きが必要だと言うのなら、それは既に我が息子が行った筈だ」
「……お言葉のままに、ドン・ボンゴレ」
 出すぎた真似だと頭を下げたボディーガードが力を緩める。スクアーロはゆっくりと立ち上がって、尚も睨み付けるような敬う色のない瞳で九代目を見上げた。
 九代目はそんなスクアーロを少し見つめて、思慮深げに双眸を細めたがそれだけだ。馬鹿にされたのかとスクアーロが眦を吊り上げて、怒鳴る為に大きく息を吸った──が、それが声音として発される前に、横から伸びてきた腕に強引に掴まれ人垣の中へと引っ張り込まれる。
「何してんだよ、スクアーロ!」
「あ、」
 やっべ忘れてた、とスクアーロが呟く。酷く狼狽したような顔付きで、ディーノがそこに佇んでいた。スクアーロの腕を掴んで引っ張ったのは彼らしい。
「なんか銃声聞こえたし、騒ぎが起きててどうしたんだろうと思ったら、捕まってるのがスクアーロで……ボンゴレと何かあったのか? ていうか、どうしたんだよその顔! 頬が痣になってるじゃないか!」
 ぎこちないながらも和やかな空気に戻り始めたパーティーの中、九代目の方をちらちらと見遣りながらディーノが訊いて来る。それからスクアーロの右頬を大きく占める、いかにも出来たばかりの青痣を痛そうな視線で指摘した。
 もう出よう、と言う彼に腕を引っ張られて歩きながら、スクアーロは蹴り飛ばされた頬を摩る。鈍い痛みが、頬の肉を抉った。
「……ボンゴレと何かあった訳じゃねぇよ。ついでに銃はオレに向けられた訳でもねぇ。……なんかすげぇ奴がいて、気付いたら飛び出してたっつーか何つーか……」
 何だよそれ、こっちは滅茶苦茶肝を冷やしたんだからなとディーノが喚く声を遠くに聞きながら、スクアーロはぼんやりとあの少年の姿を思い出す。

 ──赤い眼をしたボンゴレの御曹司、ザンザス。
 誰にも興味が持てなかったスクアーロの中で、唯一彼だけが鮮やかにくっきりと焼き付いて離れなかった。