「気取ってんなぁ」
 自分の隣に立つ男をじろじろと上から下まで眺め回して、スクアーロは鼻先で笑い飛ばすようにして呟いた。が、その瞬間思い切り彼に片足を踏み付けられて悶絶する。
「──……ッてぇ!」
「てめえも気取ってんじゃねえか。良く似合うぜ、シニョーラ・スクアーロ?」
 金と銀と黒の三色しか使われていない筈なのに恐ろしく美しい仮面を着けた、ザンザスが揶揄する声色で囁いた。ぞわりとスクアーロの肌が粟立つ。そんな呼び方は御免だ。仮面の所為で表情が見え辛いから、尚更だ。あの人を見下すような赤い双眸が見えないだけで、どうにも調子が上がらない。
「つーかこの服マジで暑ィ。真夏にマスカレードとか阿呆だろ、ガリレイ……」
 白い仮面に青を基調とした飾りを取り付けた、婦人用の甘い造形の仮面をきっちりと着けたスクアーロが、長い銀髪を華々しく結い上げているのにも関わらずにがしがしと頭を掻く。
「酔狂な事を金掛けてやるのは金持ちのステイタスだ、カスが。大体オレも暑ィんだよ暑いとか言うな暑苦しい」
 見た目と百八十度違う行動に、ザンザスは舌打ちをしてその頭をはたいた。良い音がする。
「……あのさ、目立つ事しないでくれる?」
 一連の流れをちらちらと横目で見ていた綱吉が、受付を終えてから振り返り様に囁いた。綱吉のサインが記されたマスカレードの招待状を受け取って、受付係の男が恭しくメインホールへの大扉へと案内する。
「失敗は許されねぇんだ。十代目の足を引っ張るような真似してみろ、オレが吹っ飛ばしてやっからな」
 クロームをペアに連れた獄寺が、扉へと先導する受付係の男に聞こえないような小声で挑発的に言った。獄寺くんもね、と綱吉が釘を刺し、彼がパートナーとして連れている女──ヴァリアー所属で腕の立つ人材だ──がくすくすと笑う。
「親愛なるボンゴレの皆様、よくお越し下さいました」
 頭を垂れたドアマンが、流れるような麗しい声音で告げる。それからゆっくりと重い観音開きの扉を開かれて──その向こうに広がる目が潰れそうなほど眩い光景に、スクアーロは仮面の下の双眸を狭めた。
 ──光の洪水、と表現するのが一番似合いかも知れない。
 高い天井から吊り下げられた幾つもの古いシャンデリアは全ての電球が活用されており、アールヌーヴォー様式の内装が施されたホール内はどこもかしこも磨き上げられ、大理石の床はきらきらとシャンデリアの光を飲んで波打たせている。
 そこに犇く者達は、招待客も給仕人も男も女も区別なく、全員が等しく何らかの仮面で顔を覆っていた。鳥の嘴のように大きく鼻が突き出たもの、これでもかと言わんばかりに宝石が意匠に盛り込まれたもの、ごくごくシンプルな白いもの──種類は数え切れない。そして招待客は皆、一様に着飾り立てている。
 実はスクアーロは出発前に、流石にドレスで誤魔化せたとてこうまで身長が高くては、矢張り少しは不審な目で見られてしまうのではと懸念していたのだが、ルッスーリアが笑って心配するなと言ったように──その不安はとても無意味なものであったようだ。
 どこのアントワネットだと言いたくなるほど髪の毛をごてごてに高く飾る女もいれば、シークレットブーツを履いているのかやたらと背の高い女もいる。つまり、有体に言う仮装だった。確かにスクアーロはホールから特別浮きはしていないどころか、寧ろ沈んでいる。とりあえずそこだけ安堵した。
「流石マフィオーソの晴れの舞台、女の子にも気合が入ってて良いわねぇ。誰のデザインか知りたいドレスがたくさんあるわ、やだ! あの綺麗なロングストレートのブロンド、あれってモデルのキャサリンじゃなぁい? 誰のパートナーで来てるのかしら!」
 黄色い声を上げて、髪型を隠す為に色の濃いヴェールを縫い付けたボンネットを被ったルッスーリアがはしゃぐ。
「ルッスーリア、頼む、余り目立つような事はしないでくれ。今日はこれがメインじゃないのは知っているだろう、」
 諭したのは、ルッスーリアとペアを組んだ了平だった。顔付きや声音こそ落ち着いたものだったが、端々に滲むものには誤魔化しきれない苦さがある。今宵一番焦り、また逸っているのはこの男だろうとスクアーロは思った。
 綱吉が肩越しに浅く振り返る。
「もうすぐ動けます、だから焦らないで下さい、お兄さん。オレだって焦ってるけど、必死に我慢してるんだ。──ほら、ドン・ガリレイと──アルマンドが入って来た、」
 囁くような彼の告げる声音に、ザンザスがゆるく視線を持ち上げる。見遣る前方、対になっている螺旋階段から先に降りて来たのは小柄な少年で、彼が先代の息子であるドン・ガリレイなのだろう。彼の数歩後ろに従う後見人──アルマンドを見て、ザンザスは口端を歪ませる。嗚呼、オッタビオに似ている、と改めて思った。あの男もいつも、ザンザスの数歩後ろに付き従い──ザンザスの全てを、見つめていた。
「今宵はこんな辺鄙な場所までご足労頂きまして、有難う御座います。ガリレイを代表して、まずは御礼申し上げます」
「……あのガキ、随分肝が据わってンなぁ」
 ドン・ガリレイの滑らかな挨拶を聞いて、スクアーロが瞬いた。ザンザスの耳元へと唇を向け、小さな声音で喋る。
 仮面と仮装で隠れているとは言え、着飾ったいかつい大人たちばかりが溢れるホールを目の前にしての第一声だ。あの年頃の少年にしては声も震えず、その表情には笑みすら見えた。
「ガキだガキだと思っているのは周りだけだ。ガキってえのは、得てして周りの思惑より早熟だぜ。オレもてめえもそうだったろうが、」
 スクアーロが嘆息するように吐息して、そうだな、といらえる。
「──今年でこの伝統あるマスカレードも、五十二回目を数えます。去年にお越し頂きましたそちらの旦那様も、今年初めてお越し頂くあちらの奥様もどうぞごゆっくり、有意義な時間をお過ごし頂けるものと思っております。……長々とつまらない挨拶をご静聴頂き、有難う御座いました。それではマスカレードが始まります──皆様どうか、絢爛豪奢の渦に溺れてしまいませんようお気を付け下さい」
 幼い彼がマイクを下げると同時、ホールの端から優美な音楽が響き始める。オーケストラだわ、と興奮しているらしいどこぞの連れらしき女がはしゃぐ声が聞こえた。
 途端に人が動き始める。招待されている有力なマフィオーソを探し出し、自分の名刺を渡してコネを作ろうとしている者や、見目麗しい異性を探してダンスを楽しむ者、或いは隅の方で不穏な話をする者など、様々だ。
 成る程、これは絢爛豪奢の渦と称するのも解る。各々の欲望の為に衣装の裾を揺らして犇くホールを見遣って、ザンザスは理解した。
「──じゃあ、始めるね」
 小声でクロームが呟き、人の流れに紛れてそっと離れる。怪しまれないように獄寺も一行の傍を離れ、綱吉は浅く顎を引いて胸を張った。
「オレ達は手筈通り、ドン・ガリレイの所へ挨拶へ行く。……どうせそこから動けなくなる筈だ、後は頼んだよ。良い報告を、待ってる」
 頷き合って、それぞれが離れ出してゆく。了平とルッスーリアはクロームからの報告があり次第動けるようにと、目立たないよう歓談を楽しむ風を装いグラスを取った。
 綱吉とそのパートナーは、動いては目立ちすぎるから動かない。それを逆手に取って、ドン・ガリレイをホールに出来るだけ引き止めて置くのが彼の役目だった。
 九代目の息子として知れているザンザスもまた、自由に動くには分が悪い存在だ。彼とは別行動になるスクアーロは、これから今回の任務が終わるまではザンザスの傍を離れる事になる。
 これだけの大掛かりで大規模な、そして由緒ある催しだ。警備は心配せずとも万全だろうけれど──何故だか少し、スクアーロはザンザスの傍を離れ難いと思った。何でだよ、と仮面の下で眉を顰めてスクアーロはその思いを振り払う。それは寂しさの片鱗であったのだけれど、現状のスクアーロはその感情の名前が寂しさだという事を知らなかった。
「何ぼさっとしてやがる、とっとと行け。呆けて下手を踏んでヴァリアーの名前に泥を塗ってみろ、三日三晩は外に出られないようなツラにしてやる」
 傍を離れないスクアーロに、ザンザスが訝しげな声音で囁いた。スクアーロはショールに覆われた肩を緩く竦めて、それからザンザスの耳元へと唇を寄せる。厭らしい化粧品の匂いがつんと鼻を突いた。
「忘れられねぇマスカレードにしてやらぁ。全てリクエスト通りだ、ザンザス」
 言って、スクアーロがドレスを翻す。たった二日三日程度で仕込まれた付け焼刃の立ち居振る舞いだったが、上等なドレスが品の足りない動きをフォローしていた。
 だが矢張り美しいドレスを身に纏っていても、鮫は鮫だ。育ちも躾も悪い彼を後ろから見送って、ザンザスは呆れたように嘆息した。
「あんなに肩を怒らせて大股で歩く女なんざいねえよ、ドカスが」