「──……どういうことだ、そりゃぁ」
 愕然としたスクアーロの声が、夕暮れの部屋に寂しく転がり響く。
「言った通りだ。独立暗殺部隊ヴァリアーは特殊暗殺部隊ヴァリアーへと名称変更、及び部隊に関する最終決定権のボンゴレ本部への移行が決定した。後日、書類への調印を以って正式履行とする」
 ザンザスは淡々と繰り返して告げた。
 いつも張り詰めているザンザスの執務室の空気が、今日はそれよりもいっそう張り詰めていた。糸一本だけで保たれているその均衡を崩したのは、やはりスクアーロだ。
 執務室の机の前に居並ぶヴァリアー幹部の面々の列から一歩踏み出し、ばん、と派手な音を立てた。大きな黒檀拵えのデスクの天板を叩いた音だ。スクアーロの銀の瞳が、明確な怒りを伴いザンザスを射る。
「う゛お゛ぉい、もう一度言ってみろザンザス……! ヴァリアーがボンゴレ本部の管理下に置かれる、だとぉ? ふざけんなぁ!」
 激怒したスクアーロの大声が、びりびりと部屋の窓を震わせた。
 けれども怒鳴られた当人であるザンザスは、酷くつまらなさそうな視線でスクアーロを見つめるだけだ。
 返答すら貰えないことが酷く気に障って、スクアーロは眦を吊り上げる。煩いとも言われないという事は、ザンザスにとって今のスクアーロには返答する価値すらないという判断を下されたという事だった。
「何とか言えよ、言うべき事があんだろぉが!」
 喚き立てれば、漸くザンザスの唇が動く。深く吐息した後に、そのピジョン・ブラッドの双眸に面倒臭そうな色が混じった。
「言うべき事は、今すべて話したと思うが」
「ありゃ唯の事後報告だ、どうしてンな事になってるかを聞かせろぉ!」
 スクアーロが吼え立てる。
「……仕方がないのよ、スクアーロ」
 だが怒れる彼に返答したのは、ザンザスではなくルッスーリアだった。
 いつもなら薄らと笑みを浮かべている彼が、今日は酷く疲れたような顔をしていた。引き結んだ唇とサングラスの所為で、その表情は読めない。
「リング争奪戦のツケが、全部来ちゃった結果だもの。多少形を変える事になっても、ヴァリアーが存続出来るだけマシだわ。……私たちは温情を掛けて貰ったのよ」
「他でもないボスの決定だ。退け、スクアーロ」
 ルッスーリアの後を引き継いで、淡々とレヴィ・ア・タンが告げる。
 どいつもこいつも腑抜けばかりだ──スクアーロは眩暈を覚えて、強く歯を噛み締める。ぎし、と嫌な音が唇の隙間から零れ落ちた。
 スクアーロが俯く。銀の長い髪が滑り落ち、その両頬へと星屑色のカーテンを引いた。
「──……ボス、……ザンザス。てめぇは、九代目に飼い慣らされる事になっても良いのかよ……!」
 肩が震えるのは怒りか、それとも哀しみか。
 この処罰を呑んでしまえば、ヴァリアーはもうザンザスの意志ひとつでは自由に動かせなくなってしまう。それは単純に、ザンザスの保有していた武力の一つが取り上げられてしまうという事だ。爪と牙を取り上げられた獅子に、戦う術は殆ど残らない。
 搾り出すような声で紡がれる囁きに、それでもザンザスは顔色一つ変えなかった。
「全て決定した事だ。ボンゴレ九代目と門外顧問の意志によるものを、オレは覆せねえ」
 抑揚のない返答に、スクアーロの中で音を立てて何かが弾けた。
 スクアーロは銀髪を振り乱してデスクへと近寄り、片膝を使って半身を乗り上げた。そのまま両腕を伸ばし、深く椅子に腰掛けているザンザスの襟首を掴む。
 誰も動かなかった。否、動けなかった。スクアーロの背中を見つめて、ベルフェゴールはらしくなく息を呑む──顔を見なくたって、彼がどれだけ怒っているのか手に取るように知れたからだ。
「オレは、」
 ザンザスの襟首を掴んだ手が震える。掴み掛かられているというのに、彼は酷く冷めた目をしていた。
「オレは、お前の怒りに惚れたんだ……ついていくと決めたのはボンゴレじゃねぇ、」
 不意に言葉が途切れた瞬間、ベルフェゴールの腕に抱き上げられているマーモンは、とても不思議な光景を見た。
 部屋の向こうから差し込む夕焼けに縁取られ、逆光により作られる影の中、スクアーロの顔を面白みもなく見つめていたザンザスの双眸が──酷く驚いたように瞠目するのを。
「オレが一生を懸けて忠誠を誓うのはザンザス、お前だけだぁ! あんなボンゴレのジジィどもじゃねぇ!」
 けれどもザンザスのその表情は、スクアーロが叫んだと同時に消えてしまった。先ほどまでと同じ仏頂面に、逆光の所為で見間違えたかとマーモンが首を捻る。
「うるせえよ、ドカスが」
 不機嫌そうなザンザスの声が落ち、次いで重そうな打撃音が部屋に響く。スクアーロの身体がデスクから落ち、彼がザンザスに殴られたのだと知れた。
「誓うだ何だと抜かすなら、喚かずにオレの決めた事に従え」
 切れた唇から溢れる血が、スクアーロのそれを染め上げていた。
 ぐいと義手を覆う手袋で拭いつつ、立ち上がってスクアーロも言い返す。
「従える事と従えねぇ事があらぁ!」
 怒鳴り散らす大声に、ザンザスは心底鬱陶しそうにピジョン・ブラッドをすいと細めた。
 ルッスーリアが、やばい、と直感で捉える。冷めたように双眸が細められた後は、いつもとんでもない一撃が落ちるのだ。
 格闘を嗜むために筋肉が付き、太く逞しいその両腕がスクアーロに伸びる。そのままルッスーリアが羽交い絞めにして引き摺り戻すより早く、ザンザスの口が開かれた。
「だったら──」
 それは、酷く冷ややかな口調で告げられる。
「ここから出て行け。オレの命令に従えねえような使えないカスは、どこへなりとも行って野垂れ死ね」
 ルッスーリアが羽交い絞めにしていたスクアーロの身体から、するりと力が抜けた。暴れる気配が消え失せ、ルッスーリアはそっと腕を離す。
 スクアーロは呆然としていた。出て行けと言われるなんて、思ってもいなかった。
「な、にを」
「聞こえなかったか? ならもう一度言ってやる。命令を選り好みするようなドカスなんざ、ここには要らねえ。出て行けと言ったんだ」
 冷ややかな声は変わらない。立ち竦むスクアーロから視線を外したザンザスは、興を削がれた子供のように不機嫌な顔をしていた。
「明後日の晩、ジェンツァーノでボンゴレ主催の夜会がある。調印式はその翌日だ。書類にサインするついでに、夜会にも出ろだとよ。全員準備しとけ」
 何事もなかったかのように、ザンザスはそう締め括った。デスクの上の書類を掻き集めてくしゃりと握り、扉続きのプライベートルームへと戻っていく。
 その重い造りの扉が閉まる音に、スクアーロが自我を取り戻す。慌てたようにその深いチョコレート色の扉に飛び付き、殴るようにノックした。
「ボス、ボス! なあ、ザンザス!」
 扉は何も答えない。唇を噛み締めてもう一度振り上げられたスクアーロの拳を止めたのは、マーモンの言葉だった。
「やめときなよ、スクアーロ。ボスはきっと今、物凄く機嫌が悪いと思うよ」
 至極冷静なアドバイスに、スクアーロは渋々扉から離れた。
 これ以上ザンザスの機嫌を損ねれば、今日の夕食は顔面を青痣だらけにして食べるのを覚悟しなければならないだろう。
 ──だがそうやって、冷静になったのがいけなかった。
「なんでオレが、出て行けと言われなきゃならねぇんだ」
 あ、そこにいくんだ、と思ってベルフェゴールはうんざりした。彼の八年間を鑑みれば理解は出来る思考だが、いかんせん厄介な予感がする。
「ねえスクアーロ、今夜にでも謝りにいってあげなさいよ。ちょっと我慢して頭を下げれば済む事じゃないの」
「オレはぜってぇ謝らねぇぞ!」
 ルッスーリアの言葉に、スクアーロが喚く。
「……ボスが気の毒だ」
「どっちもどっちじゃん?」
 レヴィ・ア・タンの嘆くような一言に、笑いながらベルフェゴールがそう言った。
 ──そして、今に至る。