「時折、船で遠出をしているんです」
 可愛らしい手付きで花を模した練切を崩しながら、鶴姫は笑って小首を傾いだ。彼女の手の中、さきほどまで匂やかに咲き誇っていた菓子の牡丹は、今その甘さで以て鶴姫の口の中に季節と同じく、春めいた甘さを咲かせているのだろう。尤もこの奥州では、弥生の先駆けと言えど冬のような様相だったのだが。
 戦国競艇だの元親との競争だので、彼女が以前この奥州を訪ったのはまだ記憶に新しい。あれ以来、折に触れてあちこちを船で巡っては行く先々で見聞を広めているのだという。
「片倉さんが、また是非おいで下さい、と仰って下さったので。以前のお土産に頂いたお野菜のお礼もしたかったですし」
「小十郎が?……ああ、」
 何故、と続けようとして政宗は思い当たる。腹心である小十郎の生家は神職だ。人の身でありながらも人に非ざる神託を行うこの女巫を、神職の家の出である小十郎が丁重に扱うのは当然なのだろう。道理で一番良い茶器を持ち出してきた訳だ、と政宗は内心ぼやいて手元の茶碗を眺めた。
「次は、上杉領へ行くつもりなんです」
 綺麗さっぱり菓子がなくなった皿と黒文字をそっと置いて、開け放たれた襖の向こう、まだ春遠い雪深な奥州の庭を見つめて鶴姫は呟く。
「上杉か。あっちもまだ冬の最中だろうに。冷たい海風はそのちっせえ身体に堪えンじゃねぇのかい」
 喉奥で笑いながら、さかさかと微かな音を共に茶を点てる。揶揄の言葉に鶴姫はぷうと口許を膨らませたが、茶を点てる政宗を見て反撃の為に開き掛けた口を閉じた。
「……お上手ですね。私、そんなに綺麗に点てられません」
「Ha!ナメてもらっちゃ困るぜ。奥州筆頭を名乗ってんだ、これくらい出来ねえとCoolじゃねぇ。──ほら、飲めよ」
 作法も何もあったものではなかったが、鶴姫も堅苦しいのは遠慮したい処だったのでそれについては兎や角言わない頃にする。押し出された茶器はずっしりと手に重く、それを形ばかり押し頂いてから、一口啜った。二口、三口と続いて全てを飲み干す。菓子で甘くなった口に、茶の苦み渋みは丁度良い。
 空になった茶碗をそっと下げながら、鶴姫が囁く。
「──北の地は、やっぱり随分春が遠いんですね。伊予河野は、もう春爛漫ですよ。この辺りでは、桜はいつ咲くんですか?」
 問われて、そうだなと政宗は庭を見晴るかす。来客用の部屋付きなのだからと見栄え良く作られたその庭の隅には、まだ蕾も無い枝垂れ桜が植わっている。
「まだひと月……ひと月半かもな。春風の気まぐれ次第さ」
 吐息だけで笑う政宗に、笑い返して鶴姫は一つの包みを懐から取り出した。どうぞ開けてみてください、と遠慮無くずずいと突き出す。
 訝しげにもそれを手にとった政宗に、鶴姫はもう一度微笑んだ。
「気まぐれな春風を、この鶴がドーンと吹かせて差し上げましょう!きっと気に入って下さいます、」
「……人に言える立場じゃねぇがその奇っ怪なドーンは何の意味があるんだ。書か?」
 ドーンはドーンです、と喚く鶴姫から視線を外して、政宗はその包みをとっくりと眺めた。貴紫の袱紗に包まれたそれを、はらりと解く。
 ──隙間から洩れ出ずるようにして漂う甘い香りに、政宗はその独眼を数度、瞬かせた。
「桜?」
 頷く代わりに、鶴姫はぱあっともうひとつ笑う。袱紗の中には咲き初めの、桜が一枝手折られて包まれていた。枝ぶりは立派で、さぞ丁寧な手入れをされているのだろう事は一目で解った。生ければきっと、枝にしがみついている硬い蕾もじきに開くのだろう。
 桜の枝の下に、書が一通あるのを見つけて政宗はそれを取り上げた。膝の上に桜を置いて、書を開く。それが誰からのものであるのか身体が飲み込む前に、心が綻ぶ。相も変わらず下手くそな筆跡に、唇の端が淡く吊り上がる。
「──上田へ足を伸ばしたら、お持て成しを頂いて。これから奥州を目指すと伝えたら、随分慌てた様子でそれをご用意になったんですよ」
 袱紗から零れ出た花弁の一枚をつまみ上げて眺めながら、鶴姫はそう言った。
「だろうな。酷い歌と文字だ」
 書にはたったひとつ、筆跡と同じく下手くそな歌が認められていた。雪解けが恋しい、と、情緒も何もないがそんな風に読み取れた。そりゃそうだ、と政宗は書を畳んで笑う。摘む桜の枝は、上田の春が今まさに始まろうとしている事をありありと教えてくれた。
 ──雪が融けねば、馬でこの奥州に辿り着くことは難しいだろう。あの炎よりも尚熱い男の人肌を恋しがっている己に呆れ笑い、政宗はShitと舌打ちした。
 襖向こう、庭を代え難い白に染める雪景色を眺めて、政宗は嘆息する。
「情ってのぁ恐ろしいな。あれだけ好きだった奥州の冬が、とっとと終わっちまえば良いとさえ思う」
 同意するように、鶴姫はころころと笑った。
 
 彼女の帰り際、その船旅にこっそり随行していたらしい風魔小太郎を呼び止めて、政宗は一通の書を彼に言付けた。一緒に握らせた代価は老人の腰痛によく効く灸である。
 変わらず無言ではあったものの、快く引き受けてくれたその書は、そう日は掛からずあの赤い若虎の手に届けられる事だろう。
「ちっとStraightすぎたかね、」
 技巧も季語もへったくれもなく、ただ逢いたい気持ちを言葉の裏に添えただけの自らの返歌を思い返し、肩を竦めて政宗は囁いた。




(10/11/13)