政宗の足許に転がりつく白い毛玉を見遣って、幸村は瞠目した。瞠目しながら、とりあえずはと政宗の傍らに膝を折る。
「猫、で御座いますか?」
 猫にしては少し手足は太かったし、耳も丸っこかったのだが、それくらいしか思いつかずに幸村は問う。毛玉は座って書き物をする政宗の片膝の上によじ登り、満足そうに尾を振っていた。
 猫にしては身体の大きなその白い毛玉は、政宗に空いた手で喉元を擽られてぐるぐると唸る。ころんと転がり、その無骨な指先に思い切りじゃれ付いて甘えてみせる。
「Very Cuteだろ?虎の子だ。宇都宮ンとこから一頭貰った」
「──、ああ!」
 虎の子と聞いて、幸村は得心して頷き手を打った。宇都宮広綱、氷と槍を操り虎を飼い慣らす男。その己との共通性の多さから、時折お互いを訪ね合っては他愛もない話をしたり、手合わせをしたりと少なからず交流がある。そういえば彼だけでなく、鬼島津も布陣に虎を用いていた。
 道理で見覚えがある、と小さな白虎をまじまじと見つめると同時、言葉にし難い感情を得て、幸村は思わず閉口した。胸の奥、底の方に蟠るようなものである。もやもやと、水底の泥濘を掻き混ぜたかのようにそれは渦巻く。
「これくらいのうちから人に慣らしゃ、成獣になる頃には立派な戦力として扱えるらしい。主人と敵を嗅ぎ分けて、噛み付くべき相手を違わねえとさ」
 為すべき事は終わったらしい。書き物の手を止め、筆を硯の上に放り出して政宗は小虎を両腕で掬い上げる。含んだままの墨を撒き散らしながら筆があらぬ所へ転がってしまったが、政宗は気にする様子もない。
 そのまま畳の上を摺って幸村の方へと向き直り、胡座をかいた股座の間へと小虎を囲う。掌でその小さな頭を撫で擦りながら、政宗はそう言った。
「なれど、獣には相違御座らぬ。いつ何時、政宗殿の喉笛を噛み切るかは解りませんぞ」
 むっつりと唇を尖らせるさまは、この場に佐助がいれば大人気ない、と嗜められてしまうかもしれないような子供めいた仕草だった。そのまま不服そうに幸村が呟いたその言葉を、政宗は笑って聞き流す。
「Ha!そうかもなァ。でも俺は虎が欲しかったんだ、宇都宮ンとこで見た時からな。何せでけぇし、ナリがCoolだしな」
 虎はくるると可愛らしく喉を鳴らし、爪を立てて政宗の着物にしがみついた。上等の藍染めの着物にずたずたの傷が出来るのも構わず、政宗は笑ってそれを眺めている。
 幸村はちっとも面白くない。第一今日ここへ参じたのは政宗と久方ぶりの逢瀬をする為であり、断じて、決して、虎を見に来た訳ではないのだ。
「……そ、」
「Ah?」
 言い難そうに切り出した幸村に、政宗が顔を上げる。幸村は眉間に皺をくっきりと刻み付け、背筋をぴんと伸ばして両膝の上で拳を握ってみせた。すう、と息を吸い込む。
「某ではご満足頂けませぬか、政宗殿」
 頬を染めて言い放たれたその台詞に、政宗は思わず口をへの字に曲げて変な表情を作ってしまった。奥州筆頭としてCoolではないが仕方ない。何せこの眼前の、熱血馬鹿の突然の言葉はそれだけ理解に欠けるものだったからだ。
「……Pardon?」
 発音は英語だったが、上げられた語尾により疑問である事は幸村とて推し量る事ができる。きりりと眦を引き上げてみせ、幸村はもう一度唇を開いた。
「某ではご満足頂けませぬか、とお尋ね致しました。某も、虎と呼ばれる身であり申す。同じく甲斐の虎と慕われるお館様には遠く及ばずとも、政宗殿の、ま……股座の間でじゃれ付くような仔虎よりかはお役に立ってみせましょうぞ」
 幸村の言い分に、ああそういうこと、と政宗は理解した。虎が虎に嫉妬するとは面白い、とその口許がほくそ笑む。じゃれる仔虎を抱き上げその毛皮に唇を寄せると、幸村は目に見えてショックを受けているようだった。
「嫌だね。言ったろ、俺は虎が欲しいんだ。アンタは俺の虎じゃない、甲斐の若虎だ。その牙は俺の為に剥かれねぇ。あとアンタ、」
 そこで一度、政宗は言葉を切る。不意に途切れたそれに、既にそこまでの台詞で打ち拉がれながらも幸村は顔を上げた。見えない耳と尻尾が力なく垂れ下がっているような気がして、政宗はにやにや笑う顔を元に戻す事が出来ない。
 一度笑うように息を零してから、政宗は次いだ。完璧からかう表情だった。
「ナリもでかくねぇし、何より毛皮がねぇじゃねぇか。Coolじゃねぇぜ、ちっともな」



 咆哮と共に奥州から甲斐まで爆走し、留守番だった佐助にああ旦那おかえりーと軽く迎え入れられながら、幸村は鬼気迫る表情で佐助の肩を掴んで言った。
「身体を大きくし、毛皮を得ねばならんのだ佐助!協力してくれ!」
 意味を勘違いした佐助に仕立てて貰った虎の毛皮の上着を羽織り、数ヵ月後にしょんぼりと政宗のもとを再び訪れ、ほんとに毛皮着てきたぜコイツ馬鹿じゃねーの、と大爆笑されるのはまた別の話だったようで。



(10/10/25)