「そういえば」
 ごくん、と口の中のものを咀嚼し終えて三個目のおはぎに手を伸ばしながら、ふと思い出したように幸村は呟いた。食べている最中はしっかり無言を守っているのは、このおはぎを彼に持たせた忍の教育の賜物だろうかと、政宗はぼんやり思う。
 多少行儀悪く畳の上、二人の間の大皿に盛られているおはぎは、真田の忍が作った自慢の一品だ。
 食べた幸村があまりの旨さに感涙し、すぐさま包んで政宗のところまで早馬を飛ばして持ってきた。曰く、秋になって気候は良くなったが痛むといけないから、日が経って風味が落ちるといけないから。おはぎの鮮度の為に潰された道中の替え馬たちには同情を禁じ得ない。
 置いといて、ともかく美味いおはぎなのであった。訝しむ自分の眼前でひとつ頬張り、その頬を桃色に染めた幸村につられて口に入れ、料理は趣味と言って憚らない政宗ですらも、その美味さに頷いたほどである。
「Ah?」
 餡が上品な甘さで美味いと舌鼓を打ちながら、政宗も二個目のおはぎに手を伸ばす。幸村の呟きに、語尾を上げた言葉を返しながらのことだった。
 もふもふと両頬を栗鼠のように膨らませた幸村は、政宗の問い返しに暫し待たれよ、と言いたげにきりりと眦を引き締めてみせる。聞いたんなら口の中からっぽにして待っとけよStupidと政宗は思ったが、この妙にずれた所が通常運行なので仕方がない。
 頑張って口の中を空にしようとしている幸村を尻目に、政宗はぼんやりとおはぎを齧りながら、開け放たれた小窓の向こうを見遣る。昼下がりの穏やかな風は緩慢に吹き、もうすっかり冷たい。遠くさざなみのように聞こえるのは、どこぞの畑の稲が黄金の穂を豊かに靡かせている所為だろうか。城下の今秋は豊作だと伝え聞く。
 採れたばかりの小豆を炊いたのです、とおはぎを広げた際に幸村が言った通り、口にするおはぎの餡はふくふくと柔らかく口当たりが良い。大粒の粒餡は、店で売っているものよりも素朴であっさりとしている。
 あの忍らしい味付けだ、等と思いながら、もう一口と政宗は齧る。
「失礼した」
 聞こえた声に、政宗はついと視線を流してそちらに向けた。
 先ほどまでもごもごしていた幸村は──今もまだ多少もごもごしているものの──すっかり飲み込んでしまったようだ。
「で?何だって?」
 こちらはこちらでのんびりと指先に摘むそれを齧り、視線だけで幸村を促す。
 懲りずに四個目のおはぎへと手を伸ばした幸村は、今度こそそれを口に含まずこっくりと頷いた。
「何故この菓子には、おはぎとぼたもちと言う名前があるのでしょうな?」
「……そう言やあ、二通り名前があるな。どっちも同じモンなのによ」
 幸村の唇が紡いだ疑問は意外だったらしく、政宗の食べる動きが一瞬ふと止まる。おはぎとぼたもち、確かに同じものを指す名称だ。疑問につられて手を休めた政宗の下座で、その疑問を発した幸村は四個目のおはぎにかぶり付いた。
「厳密には、同じものではないそうで御座いますよ」
 自らの呟きにいらえるようにして聞こえた声に、政宗は顔を上げた。襖がすす、と音なく引かれ、膝をついた小十郎が視線を伏せて目礼してみせる。小十郎、と政宗の声がゆるく彼を呼ばわった。
 失礼致します、と一声掛けて、小十郎は傍らに置いていた盆を捧げ持って立ち上がる。小慣れた立ち居振る舞いで、小十郎は盆の上の小皿と湯呑みを政宗と幸村の前に供した。おはぎを噛み締めながらも幸村は有難くそれにこうべを垂れて、それから小十郎を仰ぎ見る。外では荒れ狂う勇猛な武将であるというのに、彼は鎧を脱げば斯様に典雅な振る舞いも板についているのだから見栄えする。格好良い、と思ったが幸村は口に出せなかった。無論、おはぎが入っていたからである。
「そろそろ如何かと思いまして」
 小十郎はそう言った。政宗は小皿を見下ろして、にんまりと唇の端を吊り上げる。赤かぶらと大根の漬物が、上品に数切れ盛られていた。口の中がおはぎで甘ったるくなる頃合いを見越して、塩辛い漬物と渋茶を持ってきたらしい。全く出来た部下だった。
 無骨なれど繊細な手つきで小十郎に茶器を勧められ、幸村も有難くそれを押し頂く。薄くまるい形の湯呑みに満たされている茶は渋く、けれど甘い口内には丁度良い──のは一般的な話であり、甘党の幸村にはそのまま、苦かった。思わず刻んでしまった眉間の皺に気付いたらしい政宗が、は、と笑うように吐息を零す。
「あんた、稲荷も甘いのばっか食うタチだろ」
「……お察しの通りに御座る」
 恥じるような幸村の返答に満足気ににいっと笑ってから、政宗は小皿に添えられている爪楊枝で赤かぶらの漬物を突き刺し、ぽいと口に放り込んた。塩のよく効いたそれをばりばりと豪快に噛み降して飲み込んで、それで、と政宗は次いで続ける。
「同じものじゃあねぇって?」
「嗚呼、おはぎとぼたもち!」
 政宗の台詞に、幸村もさきほどの小十郎の一言を思い出して彼を仰いだ。盆を下げながら、小十郎は浅く頷いてみせる。
 いつかの際に家人から聞いた話なのですが、と前置いてから、小十郎は口を開いた。
「そもそもあの名称は、春と秋の花に掛けて……春は牡丹のぼたもち、秋は萩のおはぎと言うそうで」
「へえ」
 口の中を茶で流しながら、政宗はやんわりと瞳を見開いた。初耳だ。それは幸村も同じ事だったようで、こちらはまだ漬物を頬張っていたものの、同様に驚く。
 抱えていた盆を傍らに退かせ、膝の上に拳を置いて小十郎はふと息を吐く。ついと視線を送る先は、部屋に取り付けられた窓の外だ。稲穂のゆれる心地良い秋のさざなみは、まだ遠く聞こえてくる。
「この季節の小豆は、収穫直後の為に柔らかいので御座います。ので、おはぎは粒餡が通例でして」
 小十郎の鋭い眼差しは窓の外を流れる秋風から外れ、幸村と政宗の間にある大皿の上へと流される。
 真田の忍が作ったこのおはぎは、なるほど粒餡だ。幸村も次いで覗き込み、ほうほうと感心する素振りを見せた。政宗はてっきり佐助が幸村の好みを考慮して粒餡にしたと思っていたのだが、この男は粒も漉しも関係なく美味しく頂きそうである。
 独眼でひとつ瞬いて、政宗は小十郎を見遣りながら呟いた。
「じゃあ、ぼたもちは漉し餡とかか」
「御明察に御座いますな、政宗様」
 強面を柔和に崩し、小十郎はいらえる。肯定を受けて、政宗は機嫌よく再びおはぎへと手を伸ばした。ひとつ掴み取って、齧る。
 機嫌よくおはぎを頬張る政宗の傍らで、小十郎は続けた。
「春の小豆はちと固い、ゆえに粒餡には向かない。なので漉し餡に、と言う訳です」
「But, 俺は固めの粒餡、好きだぜ?」
 ぽい、と口の中におはぎの欠片を放り込んで、美味そうに眼を細めて咀嚼しながら政宗は言った。
「政宗様は偏屈ゆえに」
「てめえ」
 くつくつと、喉奥で低く笑いながら小十郎が呟くそれに、政宗が反論する。気心の知れた風な従者との遣り取りに、ほんの少し幸村が唇を尖らせた事など政宗は気づかない。
 けれどその様子は微笑ましいもので、なれど矢張り若干の妬ましさを抱える視線で見遣りながら、幸村が一口、静かに茶を啜った。薄い色合いの桜が描かれた白い茶器は、薄くて口当たりが快い。その中身は変わらず苦かったけれど。
「ですが、某」
 茶器を掌に持ったまま、ふいと幸村は視線を上げる。
「次の春には政宗殿と共に、漉し餡のぼたもちが食べとう御座りまする」
 驚いたような表情で、言われた政宗は幸村を見つめた。
 嗚呼、けれど──微かに吹き込む秋風に絆されたのか、その顔はふ、と穏やかさを孕む。
 政宗は冷え始めた茶器を唇に運び、ついと一口流し入れた。
「そうだな」
 かちん、と受け皿へ茶器が戻される。
 睫毛が翳を落とす最中から視線を擡げ、まどろむ様なそれを幸村へと据えた。
「考えといて、やるよ」

(初稿07/06/12)(改稿10/10/25)