「戦国ハネムーン」サンプル

 伊達軍ご自慢の競馬場、否、奥州走竜戦と銘打たれたその立派な戦場には、赤い闘気が凛々しく満ちている。
「──よう、真田」
 最後の大舞台で待ち受ける政宗は威風堂々、独眼竜と呼ばれる気位の高さもそのままに、横柄に腕組みをして待っていた。馴染む赤い気配に、躍る炎に、自分を抑えていられる術などありはしない。
「────、」
 馬を降り、炎の化身にも等しい男は──幸村は、荒削りな眼光を政宗へと据える。轟々と唸るほどの殺気を溢れさせながら、名乗りもしないとはどういう事だ。焦らされて、政宗は唇を舐める。疾く斬り合いたい。剣戟でもって、愛し合いたい。
「どうした、真田幸村ァ! 今日は随分と寡黙でいやがる、そうしてりゃあ男前っぷりも上がるってモンだ!」
 揶揄の色濃い言葉を吐きつけて、政宗はすらりと抜刀した。揺らめいて構える常のスタイルに、幸村も低く腰を落とす。
 ──二人の爪先が、同時に地を蹴る。
「伊達、政宗──────!!」
 幸村の怒号が戦場を震わせた。
身を押し包む、臓腑が斬れそうなほどの気配に酩酊しながら政宗は刀を振り上げる。返事はこれで良いだろう? なァ、愛しい真田幸村。
 脳天まで揺らすような鈍く重い音と共に、二人の得物がぶつかり合う。散る火花と紫電に、ニィ、と政宗は劣悪な形で唇の端を三日月に持ち上げた。
「政宗殿ッ!」
 ぎりぎりと力が鬩ぎ合うそこで、幸村が吠えるように声を張る。
「某と────武者修行に参りませぬか!!」

 デートのお誘いだった。


 * * *


「で、武者修行が何だって?」
 先程作ったばかりの火傷や切り傷や打撲を、丁寧に腹心の手で労られながら政宗は言う。
 一度ぶつかり合った蒼紅を止められるものなど居はしない。武者修行って何だよ馬鹿!洒落たDateの誘いなら考えてやるよ! でえととは何で御座るか武者修行は武者修行に御座りまするゥ! の怒鳴り合いと並行して行われたいつも通りの命懸けの決闘の後、頃合を見計らって救急箱と共に割り入った小十郎と佐助により、ようやっと二人はまともに言葉を交わすに至っていた。
「某が名実ともに甲斐の虎となるには、お館さまのような圧倒的な強さを身に付けねば話になりませぬ! 故にこの度、日の下の各地を巡って猛者と渡り合い、武者修行をしようと思うた次第!」
「あっ旦那待って、顔動かさないで!」
 頬の裂傷に薬を塗り込んでいた佐助が、はきはきと身振り手振りを添えて話す幸村を叱り飛ばす。
 佐助、滲みる、と不平を垂れる幸村を尻目に、その身に白い清潔な布を巻き終えられた政宗は鼻を鳴らした。
「Ha! だったら一人で行きゃあ良いだろ、そこの忍でも連れてよ。アンタが強くなろうがなるまいが、俺にはちっとも関係ねえな!」
 小十郎の手で恭しく青い着物を打ち掛けられる。傷だらけの身と思わせぬ程の仕草で立ち上がり、政宗は冷ややかにその誘いを突っ撥ねた。着物の前を片手で掻き集めながら、その視界が眼下の幸村を得る。
 政宗と同じくぼろぼろの傷まみれで、幸村はしょんぼりと眉尻を下げて政宗を見上げていた。
「……ご迷惑であろう事は百も承知。然し御前に参じたのは、尚も政宗殿を求めて止まぬこの我が身を、御し切れぬゆえに御座る。武将としてあるまじき事とは知りながらも、それでも某は、政宗殿と馬を並べ得物を番え、共に技を高め合い、其々の風土に触れたいという浅ましい欲求を捨て去る事が出来ませなんだ……!」
 黒目がちの可愛らしい瞳がきゅるんと瞬き、おずおずと幸村が切り出す。馬並べて諸国渡り歩いて武将と手合わせしつつ旅行しようぜって、そういう事なのかなあと佐助は思った。思ったがその内容は暫し忘れて、幸村の手当に専念する事にする。真田忍隊長猿飛佐助、これでも出来る忍と誉れ高い。
 殺気を隠そうともせず垂れ流しにする小十郎に気付いたか気付かぬか、政宗はじいっと幸村を見つめて言った。
「──Planは褒めてやる。俺を誘うにゃ、まあちっと雰囲気も刺激も足りねえが、アンタにしちゃ上出来だ」
 言いながら、政宗は片膝を負って跪いた。幸村と視線の高さを同じくするようなその所作に、小十郎が苦虫を噛み潰したような声で口を挟む。
「政宗様、何をお考えか!」
「Shut Up! 控えてな小十郎。今まで一度でも、俺の判断が間違っていた事があったか?」
 振り返らず、政宗が鋭くそれを制止する。伝え聞く伊達政宗武勇伝を振り返ればいっぱいあったと思うんですけど、と突っ込みたいのを堪えた佐助の視線の先で、小十郎が顔付きを顰めた。そうして彼は、深く頭を下げて後ろへと下がる。
「……この小十郎、出過ぎた真似を致しました」
「いや右目の旦那は出過ぎてないと思うよ!」
 堪え切れずに声に出した佐助だったが、政宗は視線をくれる事すらなく、その眼差しを只管に幸村へと捧げていた。独眼竜なら旦那の暴走を止めてくれると思っていたのに、乗り気になるとか何それ計算外すぎる。

「──真田」
「はっ、」
 政宗が幸村を呼ばうと、彼は赤い帯を締めた頭を持ち上げて応える。今、この瞬間でさえ焦がれて仕方が無い想い人のかんばせを間近に捉えて、その両頬がほんのりと薄桃に染まった。
「……この独眼竜への誘い文句だ、温いのはナシだぜ。もうちっと強引に出来ねえのか?」
 艶やかな微笑みと共に唆された虎は、その赤い咆哮を天を貫かんばかりに迸らせる。
「──共に来て下され、政宗殿!!」
「All right! 良く言った真田幸村ァ、Honeymoonなら受けて立つぜぇ!!」
 醜悪な笑顔で牙を剥き、凶相としか言い様のない表情で政宗がいらえた。喜色なのか殺気なのか判別が非常に難しい蒼雷が、政宗の背後に鳴り響く。その傍らでは早速小十郎が兵卒を呼びつけ荷造りを命じ、幸村が歓喜に打ち震えて両拳を天へと突き上げていた。

 生憎と、結婚もしてないのにハネムーンはどうかと思うと突っ込んでくれる博識な人も、そもそも旅行って受けて立つもんなのかと首を傾げてくれる人も、この場には誰も居なかったのだ。ああ国元のお偉方に怒られる、と佐助はしょんぼり両肩を落とした。