「キス・チョコレート・キス」サンプル

「これとかは?」
 賑々しく雑誌が詰め込まれているラックから一冊を引き抜いて、佐助がぱらぱらと捲った。ほら、と傍らに立つ幸村に見せるようにして、二人で側頭部をくっつけ合って雑誌を覗く。夕暮れのコンビニエンスストア、雑誌棚の前に立つ男子高校生ふたりが雑誌を立ち読みしているだなんてよくある光景だ。
「必殺バレンタイン、普段以上に甘えたがりなカノジョを余裕のリード、刺激的なチョコレート・ナイト・コーデは必見……佐助、つまりどういう事だ?」
 巻頭特集の見開きをぶち抜いてどどんと乗っかっている文字を幾つか読み上げてから、幸村は眉尻を下げて佐助を見つめた。可愛い瞳が困ったように瞬いて、佐助は溜息交じりの声を返す。
「バレンタインのデートはこういう服装でどうですか、恋人も喜んでくれると思いますよ、みたいな感じ?」
「おお、そういう事か!しかしどれもこれも高いな……」
 ギラギラしているし、とぽつりと付け加えて言葉が零れる。シルバーアクセ重ね付けだの黒革ライダースジャケットだの、どっちかって言うとこれ「カノジョ」の方が好んで着そうなタイプだよね、と佐助は思ったが言わなかった。大体カノジョというかカレシというか。兎角、幸村にはきっと似合わない。お値段も軽く予算オーバーである。
「高いのはしょうがないよ、旦那がいつも買ってるユニクロとかあの辺が安いんだから」
 幸村の前から雑誌を引いて、その先のページを捲りながら佐助はそう言った。お兄系と銘打ってある雑誌はどのページも攻撃的でお高くてギラギラだ。
 バレンタイン特集のうち、佐助は目についたページを開いて再び幸村の前に翳す。
「勧めといて何だけど、この雑誌は俺様のチョイスミスかな。旦那にはちょいと早いかもねえ。ほら、」
「う、お、」
 翳されたページを見て、暫しの後、変な声と共に幸村の顔が赤く染め上がった。ちらりとそれを横目で見遣って、周りの他の客から変な目で見られないうちにと雑誌を閉じてラックへ戻す。
「は、は……!はれ、」
「うんうんごめんねからかって!コンビニの中で破廉恥叫ぶのやめてね!恥ずかしいから!」



 ──話は、今日の昼休みまで遡る。
「バレンタインがしたいのだ……!」
 安西先生バスケがしたいです的往年の名台詞めいた調子で言われて、佐助は舐め始めたばかりのチュッパチャップスをうっかり噛み砕いた。
 昼休みの真っ最中、教室の中は慌ただしい。山のように買い込んだ昼飯を消費するのに忙しい男子生徒、持ち込んだファッション雑誌を数人で頭を突き合わせながらアレ可愛いコレやばいと姦しい女子生徒、そしてバレンタインへの熱意に双眸滾らせる真田幸村と、その後ろの席の猿飛佐助。因みにこの手の話題に聡いクラスメイトの前田慶次は、意中の孫市先生とお弁当を共にすべく物理準備室に勇んでいる筈である。
「バレンタインって、何のことか知ってる?」
 噛み砕いた飴をがりごり粉砕して飲み込んでから、佐助は真面目な顔をしてそう聞いた。幸村が何かのスポーツと勘違いしている場合も無くはない。
「馬鹿にするな佐助! お……思い合う二人が二月十四日にお互い、あ……、あい、愛を伝えて贈り物をしあう事だろう!」
 頬を染めて時折詰まらせながら、幸村は恥ずかしい事を言わせるな、とぷりぷりしながら正答した。気のない様子で新しい飴の包みを剥がしながら、佐助は呟く。
「ああ、一応知ってはいるんだね、良かった。俺様流石にそこは説明したくなかったもん」
 佐助がバレンタインの話題にとても乗り気ではないのを知ってか知らずか、否多分知っているいない以前にそんな事気にもせず、幸村は神妙に頷いてみせた。
 それから気恥ずかしげに、そこばかりは年頃の男子らしく甘酸っぱい雰囲気で、幸村は頬を染める。スポーツに特化した無骨な指先が、血色の良い頬を数度掻いた。
「──その。クリスマスはうっかりしていて、何も用意出来なかっただろう、俺は。政宗殿を酷く落胆させてしまったに違い在るまい。かくなる上は、このバレンタインで見事男の株を上げてみせねばならんのだ」
 あー、とプリン味の飴を舐めしゃぶりながら、佐助はついひとつき前の事を思い出す。曰く、真田幸村が伊達政宗とお付き合いを始めて最初に迎えたクリスマスの事である。

 二学期の終わりも間近、期末考査の結果は散々、補習を受けて追試を合格せねば年末の大会への出場メンバーから外すと担任から脅しを掛けられた幸村は必死だった。
 剣道部期待のホープ真田幸村である。その腕前たるや高校一年とは思えぬ程の素晴らしいものだったが、如何せん文武の文の方はちっともだった。当然のように他剣道部員や顧問一丸となって幸村のおつむ強化生活が取り計らわれ、終業式前日のクリスマス・イヴ、担任の女教師から告げられたのは「合格だがギリギリだ、からすめ」との有り難いお言葉であった。
 ──が、幸村には忘れていた事が一つあった。色々、本当にいろいろと紆余曲折あって今夏からお付き合いを始めた同性且つ同じ剣道部員の恋人、伊達政宗その人である。
 付き合い始めて最初のクリスマス、当然二人にとってはビッグイベントだった訳で。けれど幸村は勉強に追われていたからクリスマスの事なんてちっとも考えられなかった訳で。合格の二文字に安堵しながら「明日は無事に終業式が迎えられそうだ!控える大会に向けて鍛錬せねばな!」とか晴れやかな笑顔で佐助に語りかけながら昇降口を出ようとしたら、物凄い怒気を纏って放電している政宗が待っていたのも当然な訳で。

 ──あの後は俺様死ぬかと思っちゃったなあ、と酷い回想をそこでそっと停止ボタンを押しながら、佐助は改めて目の前の幸村をまじまじと窺う。
 結局クリスマスは何とかなったんだろう。あの後政宗に引きずられていった幸村はその日帰らず、翌朝二人で登校してきた時にはとても艶々していたから。深く聞く勇気など佐助は持っていないし持ちたくもない。
「だからこそ、バレンタインは気合を入れて臨まねばならん!」
 佐助を真っ直ぐ見つめて、頼む、と幸村は言った。この真剣な眼差しにいつも絆されるから痛い目見るんだよなあと内心で嘆息しながらも、佐助に断る術などない。真っ直ぐだからこそ、絆される。
「良いけどさあ。でもバレンタインって、大体は女の子のイベントでしょ?旦那、チョコでも作ってみる……ごめん今のやっぱナシで」
 言い掛けて、佐助は口を噤んだ。幸村にキッチンなど使わせたら最後、どれだけご近所にご迷惑をお掛けするか解らない。
「それにさ、もう一月も終わりじゃん。今から準備って、間に合うの?」
「まだ二週間たっぷりあるではないか。間に合わんのか?」
 佐助の声に、幸村が可愛らしく丸い形の瞳を瞬かせて尋ね返す。三学期が始まったばかりで部活動でも暫く大きな試合はなく、準備に二週間あれば事足りると思っているらしい。
 小さくなった飴を口中から外して、ひらひらと振りながら佐助が呆れる。
「あのねえ旦那、どんなバレンタインにするかは知らないけどさ、先立つモノが無くちゃ話にならないでしょ。プレゼントするにも、デートするにも、絶対必要なんだから。更に言うと相手は伊達政宗だしね」
「む、」
 指先で輪っかを作りながら先立つモノ、と言われて幸村が押し黙る。部活動の隙間を縫って行っているアルバイトの給料は、その殆どが生活費に消えているのが実情だった。しかも恋人は伊達政宗、その親の経営する会社は誰でも知っているという筋金入りの金持ちの家の子供である。
 しょんぼりと肩を落とした幸村を気遣うように、佐助が呟く。
「……今日は部活もないし、俺様もバイト夜からだし、学校終わったらとりあえず雑誌でも見に行ってみる?なんとなく方向性くらいは見えてくるんじゃないの、バレンタインの。今の時期なら、それっぽい特集なんかいっぱいあるだろうし」

 ──そして破廉恥未遂に至る。
 佐助が開いてみせたページには、バレンタイン向けとして幾つかの小物や小道具が紹介されていた。開いていた雑誌の傾向からして、ギラギラした特殊効果と共に掲載されているものはどれもこれも際どかった。曰く、ラブジェルだのローションだのコンドームだの、主に恋人たちの夜向けの。
 雑誌ラックに戻された件の雑誌の表紙を、幸村はまだ頬を若干染めながら見つめていた。その隣で別の雑誌を物色しながら、何気なしに佐助は呟く。
「でもそういう雑誌、政宗は好きそう」
「なッ!?」
「や、さっきのページがって意味じゃなくてね。そういう服装っての?なんかヤンキー上がりのあの人っぽいなーって。つかそういう格好してるの見たことあるしさ、休日に」
 驚いた声を上げる幸村に、しー、と人差し指を唇に添えるようなジェスチャーをしながら次いだ。紙面に出てくるアイテムで全身揃えて、「地に堕ちた? No! 降りてきたのさ!」とかいう煽りがとてもつもなく似合いそうである。正に伊達ワル。あっ俺様いまちょっと巧い事考えちゃった気がする。
 自らのユーモアにほんのちょっと心を温めている佐助を眼中から外して、幸村は迷うように指先を握ったり開いたりした後、件の雑誌を再びラックから取り上げた。佐助が首を傾げる。
「あれ。買うの?」
「プレゼントの参考になるやもしれぬと思ってな。……い、言い訳をするつもりはないが、先程のようなページには用事はないのだぞ!」
 嘘ばっかり、と言い掛けて佐助は止めておいた。思春期の青少年、興味がない筈はない。破廉恥と言う方が破廉恥なんだよ、の法則はしっかりと根づいている。